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2014年ハロプロ「歌詞だけ」ランキング

2014年ハロプロ「歌詞だけ」ランキングです。あくまでも歌詞だけ、他の要素には完全に目をつぶっています。つんく♂さんハロプロ総合プロデューサー卒業の発表の日に、あえて上げます。

※ここに書かれているのはあくまでねじ子個人の解釈です。「俺の解釈と違う!」と感じることもあるでしょう。歌詞の解釈は人それぞれです。むしろ100人が読めば100通りの読み方ができるのが素晴らしい詩というものであり、素晴らしい芸術作品だと思います。

1位 普通、アイドル10年やってらんないでしょ!? / Berryz工房

個人的な共感で1位(共感の詳細は2014年ハロプロ楽曲ランキングで書きました)。共感要素がなかったら「1億3千万総ダイエット王国」が1位だと思う。

ハロプロのアイドルにはルーティンワークが多い。毎年1~2月にハロコンがあり、3月にひなフェスがあり、春と秋に長い全国ツアーがあり、夏休みと冬休みにハロコンがあり、年末にカウントダウンがある。この周期からぶれることがない。いったんハロプロに就職してしまえば、その女の子には(よほどのことがない限り)半永久的に仕事と給与が与えられる。福利厚生が手厚い。そんな環境の良さから、ハロプロはよく「アイドル界の公務員」と揶揄される。

でも、その仕事は決して楽ではない。小中学生のうちから自由を制限される。プライベートで水着を着られない。プールも温泉も公衆浴場も入れない。買い物もお食事も部活も勉強もまともにはできない。土日と放課後はすべてつぶれる。もちろん、学校では周囲から浮く。浮くくらいならまだいい、いじめられることも多いときく。デビュー前と同じ学校にはいられなくなってしまうことも多い。

歌や踊りが上手ければ順風満帆、と言うわけでもない。顔が可愛ければいいわけでもない。普通の人間でも、思春期には自分と世界との居心地のいい距離感をさぐって右往左往するものだ。魑魅魍魎が跋扈する芸能の世界の中で、それをやっていかなければいけない。他にもたくさんの女性アイドルがいる中で、どう個性を出していくか。どう立ち位置を確保するか。自分の頭で考えて、自分だけの幸福をつかみ取っていかなければならない。辻加護加入以降の「ハロープロジェクト」という組織は、まだ何者でもない10代の女の子たちが10年かけて自分のキャラクターと進路を確定していく過程を、屋根瓦のように積み重ねて客に提供していく重層構造になっている。

10年後の最終的な結論が「芸能界引退」でもよし。学芸員とアイドルの両立でもよし。結婚出産ママドルでもよし。モデルや女優を目指してもよし。何でもいいから全力で自分の道を決めて、全力で突き進んでくれればいいのだ。ハロヲタは何でも受け入れる。自立に向けてあがく姿こそが思春期の美しさであり、ハロプロの面白さである。Berryz工房は12年かけて確かに完全に自立した。自立したからこそ、ハロプロという「優しい檻」からは出ていく時期なのだと思う。

私だって本当はいつまでもBerryz工房を見ていたかった。活動停止なんて認めたくなかった。久しぶりに会った知人に「Berryz工房活動停止なんですね!ニュースを見てまっさきにねじ子さんの顔が浮かびましたよ!大丈夫でしたか?」と心配された上に、「あー、大丈夫ではありませんでした……。一週間くらい自分を失ってましたかね……。はは……」と、ふらふらと目を泳がせながら答えている有様である。Crazy完全にダメな大人。

2位 1億3千万総ダイエット王国 / Berryz工房

平成の東京に住む20代前半の女子が、朝起きて家を出て、満員電車に乗って、仕事して、ご飯を食べて、家に帰る。決まった恋人はいない。昨日と何も変わらない一日が、また始まる。その道すがら、一人で歩きながら頭の中で適当に巡らせている意識をすべて文字にしたかのような歌詞である。主人公の女の子に去来する思念を、切れ目なく直接的に映し出していく文体だ。これはジェイムス・ジョイスが名著「ユリシーズ」の中で実践していた「意識の流れ」とまったく同じ手法である。「ユリシーズ」は20世紀初頭のダブリンのとある1日の物語だが、「1億3千万総ダイエット王国」は21世紀初頭の東京のとある2日間の物語である。つんく♂はこの歌で、平成の東京の女の子限定でジョイスに並んだ!とねじ子は勝手に確信している。

「朝起きてすぐメイクでユラユラの通勤がキツイ」「昨晩のビュッフェディナー胃もたれ」「天に誓う今日からのダイエット」よくある朝のOLの出勤風景である。ビュッフェディナーに出かけられるのだから、そこまで貧乏ではない。多少はお金を稼いでいる。

そして唐突に「恋したい」と来る。つまり、今は恋をしていない。

仕事でいろんな人に会う。若い女性に会った人間は、まず外見でこちらのことを評価する。「どいつもこいつも美人好き」である。最初から私の中身を見てくれる人間なんて、ほとんどいやしない。若い女性であればあるほど、人の評価基準における「外見」の占める割合が大きくなる。腹が立つ。外見を磨く努力をどうしても(ある程度は)しなくちゃいけない。ダイエットに励まざるをえない。めんどくさい。本当はただ楽しく過ごしていたい。外見なんか関係なく誰かを愛したいし、愛してほしい。でも、そんな相手もまだいない。

ダイエットを決意していても夜ご飯に誘われる。もちろん行く。最初から「割り勘だし元とろう」と宣言しているから、相手はおそらく恋の対象ではない。同性の友人か仕事仲間あたりである。ご飯はおいしい。とてもおいしい。食べることは生きることである。

そして唐突に「生きている意味が知りたい」と来る。この導入が秀逸である。都会に生きる女性にとって、食べることは唯一の「生命の根元に繋がる」行為なのだ。食べることで大地につながり、生命につながり、自分が動物として生きていることを実感する。自然と隔絶した都会の中でサービス業に従事する女性にとって、「食べること」しか生きていることを実感する手段はないのだ。次に来るのは「愛する意味を知りたい」つまり主人公はまだ恋愛を知らない。彼氏ができれば、恋愛やセックスの要素が人生に加わり、「生きている意味」や「生命の根元」をその身に実感できるのだろう。でもまだ、それもない。食べることだけが唯一の生命維持活動となる。

そしてさらに唐突に「優しい人になりたい」「この世の為になりたい」と発展する。食べること以外に生命を実感する行為がない、と断言しながらも、誰だってただの「うんこ製造器」にはなりたくないのである。誰かの役に立ちたいし、世の中の役に立ちたいし、「私の本当の意味を知りたい」のだ。

さらに不幸なことに、彼女にはそんな焦燥感を相談する相手もいない。思春期女子の歌だったら、2番のBメロあたりで唐突にママや姉貴や大切な親友あたりが登場してアドバイスをくれるのがつんく♂の定石なのだが、20代社会人にもなると、もう家族にも友達にもなかなか人生相談ってしにくいんだよね。だからこの曲は、どこの誰にに向けているのかすらさっぱりわからない「お願い」の連呼で終わる。漠然と、そこらへんにふわふわと漂っている八百万の神様に、「お願い」と連呼するしかないのだ。そんな孤独も、都会で働く20代女性の歌として大いに共感できる。私も20代前半はずっとずっとこんなことを考えていたよ。

ちなみにこの曲は医学的にも正しい。昔で言う拒食症、正確な診断名でいう「神経性食思不振症」は女性に多く、周囲から見たら病的なまでに痩せやせていても、本人は「まだ太っている」と思いこんでしまう。この思いこみはなかなか外れない。人間が最も長寿を保つのはBMI(体重kg÷身長m÷身長m)=22とされている。メディアでもてはやされている若い女性の体型はおそらくBMI=17くらいで、これは明らかにやせすぎである。本当は、そこまでやせているとかえって健康的ではない。でも、メディアによって幼い頃から「美しい女性の理想はこれだ!」と洗脳されてしまっているんだから、どうしようもない。すべての人間が「もっと痩せる」ことを目標にせざるをえなくなり、結果として「日本国中 年がら年中ダイエット中」になってしまう。そして神経性食思不振症は、完治が非常に難しい病気で、致死率も高い。どんなに痩せても、「私はまだ太っている」という思いこみをなかなか消すことができず、結果として栄養失調で死んでしまうのだ。医学的にはいい迷惑である。女性アイドルを体型のことで叩く心ない人たちは、その女の子の一生を台無しにする可能性を秘めた鬼畜の所行を自らが行っていることをよく自覚してほしい。

3位 TIKIBUN / モーニング娘。’14

TIKIBUNって何のことかと思ったら、「チッ」気分、つまり「舌打ち気分」ってことなのね。「笑顔の君は太陽さ」は2013年にモーニング娘。が紅白に出場できなかった悔しさを歌詞にした曲だった。今回の「TIKIBUN」は2014年にモーニング娘。が紅白に出場できなくてムカムカしている気分を歌った曲である。つんく♂にしてはめずらしくネガティブな情景描写の後に「TIKIBUN」というフレーズが繰り返される。「寝不足は寝るしかない」というフレーズがいい。そして特に素晴らしいのはサビの歌詞だ。

「Here we go!炎上したってなんも恐れない その全部にウソがないなら良い 君が創造(うみだ)したんだし
Here we go!チャチャ入ったって何も動じない 自分信じて突き進めば良い 君の全てなんだから」

SNS全盛の現代日本において少しでも何かを表現しようとしている人間すべてが共感できる歌詞だと思う。全員が賛成する意見など、この世に存在しない。何かを言えば、必ず誰かが異を唱える。賛成の意見が10000人中9999人で、たった1人だけが反対しているという状態なのに、その1人が発言者に対して強烈な攻撃を加え続ける、という状態が各所で勃発することになる。

そもそも、全員が賛成する無難な意見には新鮮味や面白味がないから、発信する意義に欠ける。なにか面白いこと、人目を引く意見を言おうとすれば、そこにはどうしても「批判」「炎上」「賛否両論」のリスクがつきまとうのだ。昔はそのリスクを負うのは限られた文筆業・出演者の人間だけだった。ところがソーシャルメディアが盛んになった今は、インターネットにふれるすべての人間に「発言」の機会が与えられ、結果として「炎上」のリスクがすべての人間に広がっている。

アイドル含む表現者たちは、その中で何としても生き残っていかなければならない。ブログもツイッターも上手に使い、テレビや雑誌やコンサート会場で生の発言をすることでセルフ・イメージを上手にコントロールしなければいけない。無難なことしか言わないのも、それはそれで人気が上がらない。少しでも言い過ぎた表現を使えば、とたんに叩かれる。どこに正解があるのか、誰にもわからない。そんな中で発信し続けるのは非常に骨が折れることだろう。

それでも、ねじ子がハロプロの女子たちに一番求めるのは「自分の言葉で語ること」である。自分の言葉がまだ出てこない若い子たちはまぁしばらく静かにしていればいい。でも自分の言葉がある子たちは、率先して前に出て、言いたいことを言ってほしい。ブログも好きに書けばいい。Twitterもやればいい。Twitterを取り上げたくせにろくに出演番組の告知もしないのは言語道断である(あ、これはBerryz工房とスマイレージの当時のスタッフに対する明確な批判です)。思うことを思うようにやってほしい。「従順なお人形さん」が見たい人たちは、とっくに二次元や他のアイドルに移動したよ。言いたいことを言えばいいし、やりたいようにやればいいのだ。恐怖で萎縮しているのが一番つまらない。

だから私は、成人式に参加できず「一生恨みます」とブログで不満を爆発させたあやちょのことを大いに評価している。彼女には、賛否両論どちらの意見も受け止める覚悟がきちんとあっただろう。言論とはそういうものである。なにより彼女の心の叫びを聞けたことが嬉しかった。

P.S. 松島みどり先生に衣装監修をお願いするのはもうこれきりにしてください。

どうせ当時発足した第2次安倍改造内閣に便乗して「女性が最も多い組閣人事だ!よし!これからは女性が輝く時代!女性管理職をもっと増やせって諸外国からも圧力かかってるし!」ってノリで、キャリアウーマンのビジネススーツ風にしたんだろうけどさぁ。でも第2次安倍改造内閣、すぐにつぶれちゃったね。残念。ビジネススーツにだって、もっといろいろあると思うよ。

・・・と思っていたら今度はJuice=Juiceが社民党にヘアメイクおよび衣装監修をお願いしてた。いやーん、もうやめてぇ。

4位 愛はいつも君の中に / Berryz工房

2014年のベリの曲はすべていい。散り際が最も美しい桜のようであった。

世の中には愛の言葉があふれている。「アイラブユー」という歌詞を入れると、流行歌の売り上げは格段に上がるという。でも、声高に愛を歌っても、コンサート現場で「ちなみー!俺だー!結婚してくれー!」と叫んでも、Twitterで愛の文字列をつぶやいても、ブログに熱い文章を投げつけて全世界に愛を叫んでも、それ自体は何も生み出さないし、何の意味もない。

現実の恋愛だってそうだ。憧れている男子の部活動を校舎のすみからそっと覗いていても、二人で花火を見た後に柳の葉のかげでそっとキスをしても、布団の中で愛の言葉を照れくさそうにささやいても、それはすべてほんの一瞬の出来事である。何かの結果を生み出すものではないし、何かを期待しても無駄である。期待した通りの結果など得られない。たとえそれが家族や恋人であったとしても、自分の思うままに他者を操ることなどできない。誰かを愛するってことは、いつだって自分の心の中だけのきわめて個人的な事象である。誰かを愛しいと思うことで、自分の心が一瞬でも満たされ、癒されればそれで十分なのだ。それ以上いったい何を望むというのか。「愛はいつも君の中で光る」ってのはそういうことだと思う。「愛おしいという感情はいつだって個人的なものである。外の世界に過度の期待をするな」と。それをたった一言「愛はいつも君の中で光る」という言葉に集約し、リフレインさせるつんく♂はたいした詩人だと思う。

軍歌のような曲調はおそらく日本が集団的自衛権を認めた時期の楽曲であることが背景にあるのだろう。アメリカB級映画のセクシーポリスみたいなみやびちゃんがおもしろい。明らかにやりすぎ(誉めている)。りさこの金髪ボンバーな髪型もやりすぎ(誉めている)。

5位 伊達じゃないようちの人生は / Juice=Juice

これぞ金澤朋子の曲。「そりゃたまに誰かと食事もするでしょう 繋がりもこれだけ生きてりゃあるでしょう そのへんを逐一説明するなんて 暇じゃないようちの人生は」もう、完全にかなとも。

かなともは高校2年生からアイドルの道に入った。私はちょうどいい時期だと思う。でも、一番金を出す男性アイドルファンに言わせると、アイドルになるには「遅すぎる」らしい。ハロヲタのロリコン紳士たちにとっては、高校生からアイドルになるようではもう遅いのだ。「それまでの間に彼氏がいたのではないか」「素行不良があったのではないか」」「それが将来暴露されるのではないか」と不安になり、心おきなく推すことができないらしい。うーん。まぁ確かに世の中にはリベンジ・ポルノを仕掛けてくる馬鹿な元彼もいるし、嫉妬に狂った同級生女子による下らない暴露(嘘含む)もあるし、そんなもろもろをタッチ一つで簡単にできるご時世でもある。たとえ嘘八百であったとしても、その情報は真偽不明のまま永遠にインターネット上に残り、タレント・イメージを傷付けるには十分な武器になったりする。いやな時代だ。繊細な男性ファンの懸念も、わからんでもない。

でもなー、そんな文言を見るたびにねじ子は芥川龍之介先生の言葉を思い出すんだよ。

「勿論処女らしさ崇拝は処女崇拝以外のものである。この二つを同義語とするものはおそらく女人の俳優的才能を余りに軽々に見ているものであろう。」 芥川龍之介『侏儒の言葉』より

人材の幅を狭めるのはよくないよ。人妻も子持ちも、スナック勤めの経験者も、元オリンピック選手も、ヤンキー上がりも、外国人も、茶髪も金髪もアフロも、チビものっぽもデブも貧乳も巨乳もいてこそのハロプロではないか。私はかなとものこれからをとても楽しみにしているよ。「レッスンは続くよ どんなときも」だよ。いま真摯にレッスンしてどんどん上手になっているんだから、それでいいじゃないか。かなともには歌詞の通り、もっともっと開き直ってほしいし、夢も恋も両方手に入れてほしい。

2番の「もたれかかる君の肩 せまってくる月曜 Yes 現実はそろそろ 帰らなけりゃ」って歌詞もいい。月曜から仕事なんだよねぇ。日曜にデートできる時間って、働く女子にとって貴重なんだよねぇ。別に月曜からの仕事が、嫌ってわけじゃないんだよ、いやむしろやる気まんまんなんだ。仕事も、彼氏との時間も、どっちもうまくやりたい。金も名声もすてきな彼氏も、どれもこれも全部欲しいんだよ。まさに「夢も恋も両方手に入れたい」のさ。この強欲さは、全能感に満ちあふれた社会人1~3年目くらいの、美人女性によくある症状である。幸運を祈る。

6位 I miss you /℃-ute

ファミコン音源みたいな三重奏の曲。とても変わった試みで面白い。℃-uteちゃんたちの歌唱テクニックがここぞとばかりに見せつけられている。歌詞はよくある、ひっかかりのない流れである。「大人だし」という歌詞と、まったく大人っぽくないクネクネした動きをする舞美がとても面白い。舞美に色っぽさを求めるのはいいかげんやめていただきたい。

この曲の歌詞の真骨頂はCメロの愛理ソロ「カフェで一人 お茶してる 深夜過ぎ 誰にも会いたくない時もあるよ」である。深夜過ぎまで開いているカフェという時点で、かなり都会でアンニュイにふけっていると予想される。ほぼ100パーセントの確率でスターバックス・コーヒーである。愛理の地元である千葉県のベッドタウンの駅前にあるドトール・コーヒーでは決してないし、24時間営業のマクドナルドで100円コーヒー片手に5時間ねばっているわけでもあるまい。もっともっと、「おしゃれ」を気取った場所に決まっている。愛理ほどの美しい女性が、一人で都会のカフェで深夜にアンニュイを気取っているのだ。この一文だけで面白い。いろいろなことが想像できる。

まずは、日本って治安がいいよねってこと。そして、子供だった愛理が今時の若者らしい「意識の高い女子大生」に成長したことを見事に表現している。

愛理は昔から自意識が高かった。自己演出も上手だった。今はそれを「セルフ・ブランディング」って言うらしいね。知らなかったよ。歌やダンスに対する努力も人一倍重ねてきた。その努力は実り、℃-uteのセンターになり、ハロプロ全体でも一番人気になり、慶応ガールになり、今がある。素晴らしい。どこにも間違いはない。完璧な人生設計である。

しかし、これらはすべてソーシャル・メディアで散見される「意識の高い女子大学生」の定型にぴったりと重なってしまうのである。これが彼女の不幸である。彼女自身は10年前から変わっていないのに、ソーシャルな世界の成り立ちの方が変質して、彼女に寄り添ってきてしまった。世の中にあふれる「意識の高い女子大生」は、本人はいまだ何も成し遂げていないにも関わらず、言葉だけはやたらと上から目線で高圧的だから、見ている側の笑いを誘うのである。現実と理想の乖離が面白いのだ。でも、愛理はたくさんの仕事をすでに成し遂げた立派な社会人でもあるんだから、現実と理想の乖離なんてどこにもないはずである。少なくとも歌とダンスとアイドルの世界に関してなら、彼女は何を言ってもいいはずだ。

結局のところ、愛理は何も変わっておらず、彼女を見る「周囲の目」の方が変わってしまったのだと思う。そもそも、自分より学歴が高い女性を好む男性は(残念ながら)少ない。さらにその中でも、「意識が高い」女子は男性には好まれない。いや男性だけでなく、女性にも苦手とする人は多いかもしれない。私自身は「愛理は今が一番おもしろいぞ!慶応大学卒業後は、いったいどうなっちゃうんだろう!ワクワクする!」と思っているが、これはおそらく私が傍観者だからである。

そんな彼女に勧める方法はただ一つ。気にするな。好きなようにやれ。我が道を進め。どんどん貪欲にステータスを上げていってほしい。意欲的に戦う20代女性に道は2つしかないのである。進むか、今の場所にとどまるか。愛理は「進む」と決めているのだろう。ならば進め。貴女自身の努力で手に入れたステータスを、誰にも手が届かないレベルまでどんどん積み上げていってほしい。とりあえず、ファッション雑誌「Ray」の専属モデルのお仕事が順調なようでなによりである。

あまりに違う次元にいった人間には、文句をいう人も減ってくる。嫉妬する人間もだんだん少なくなっていく。その高みにまで突き進んでほしい。目的地に行くまでは外野からいろいろ言われもするだろうが、気にするな。それこそが人生だ。まぁ今の愛理がいったい何を人生の目標にしているのか、私にはよくわからないんだけどね!彼女の人生の目標が決まった時が、℃-uteの将来が決まる時なんだろう。

アイドルとしての℃-uteに残された時間は、おそらくあと2~3年程度だと思う。その2年でどんな展開を見せるか、そしてその後どうなるのか、とても楽しみにしている。(2015/9/9)