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医師兼漫画家 森皆ねじ子

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卵巣がんというSilent Killer

声優の川上とも子さんが亡くなった。もう長いこと、病気療養で休業しているのは知っていた。何となく、がんだろうとは思っていた。でも、こんなに早いとは思わなかった。そして41歳という若さであったことも、訃報で初めて知った。夢を売る商売だからか、多くの声優さんは生年を公表していない。死んで初めて年齢がわかるというのも、皮肉なものだ。

私はオタクだが、漫画大好き人間で、アニメや声優のチェックは甘い。私がDVD BOXで購入したアニメは、ハイジとエヴァとウテナとヒカルの碁。この4本だけだ。川上とも子さんは、天上ウテナで、進藤ヒカルだった。どちらのキャラも、人生を踏み外すくらい好きだった。そして案の定、見事に人生を踏み外した。それはさておき、彼女はいつも私にとって、男女問わず「主人公の声」そのものだった。ぶっちゃけ、この世で一番好きな声優さんだ。今でもはっきりとウテナの声とヒカルの声が私の頭の中で響いている。自殺しようとしたアンシーに向かってウテナが言った「逃げるのか!十年後に、笑って、一緒にお茶を飲むんじゃなかったのか!?」という台詞。「いつも、あれに入れて、冷蔵庫にあれ、しとくんだけど…..今日は….」という意味深な譫言。ヒカルが夜の棋院で一人泣きながら「オレなんかいらねえ!もう打ちてぇっていわねえよ!だから神様!はじめに戻して!」と叫んだ声。すべてが脳内で完璧に再生される。されるのに。実は訃報を聞いてから私はずっと泣いてる。今日はもうどうせ眠れないので、個人的に私が思う川上さんベスト演技の少女革命ウテナ第33話「夜を走る王子」とヒカルの碁第63話「もう打たない」をリピート再生しながら、川上さんの死因である「卵巣がん」について書こうと思う。

卵巣がんは「サイレントキラー」と呼ばれる。がんが拡大・転移するまで、なかなかその存在に気が付くことができないからだ。症状が出て病院に来た時には、もう「手遅れ」であることが多い。症状がなかなか外に出ない、サイレントな癌なのだ。

卵巣は、腹腔の中にある。簡単に言うと、お腹の中で、小腸や大腸がゴロゴロいって動いている「とても広いスペース」の中に、卵巣はただよっている。腹腔は広いので、1リットルや2リットルの腹水が貯まっても、ビクともしない。そのくらい広い。よって、卵巣がガンのせいで多少大きくなったとしても、なかなか周囲も圧迫されず、「お腹が張る」などの症状が出ない。場所も、腹腔のかなり奥の方にあるので、しこりが外から触れることもない(しこりが触れるくらいまで大きくなっていたら、それはもうかなり進行している)。また、卵巣は構造上、子宮や膣とは直接繋がっていないので、外へ見える出血を出すこともない。子宮体がんや子宮頸がんは「性器からの不正出血」で早めに気付くことができるのだが、卵巣がんの出血は腹腔内に貯まるだけだ。外に出ない、よって気が付かない。そして、これが最も重要だが、卵巣がんの定期健診は「一般には」行われていない。子宮頸がんや乳がんに比べて発生率が非常に少ない、つまり「めったにない」病気のため、全員参加型の健診は行われていないのだ。卵巣ガンを早期発見するには、かなり精密な人間ドッグに自主的にかかるか、産婦人科でエコー検査をするか、腹部のCTを撮るか。それくらいしか手がない。普通に生きている健康な女性(特に川上さんのような若い人)に、その機会はなかなかないだろう。他の検査で産婦人科に行った時に、たまたま見つかるというパターンくらいしか、早期発見の手が思いつかない。

卵巣がんはめったにない病気だが、いったん発生してしまうと、静かに進行し、本人が気がつかない間にどんどん大きくなる。そして腹部膨満感やしこりや腹痛などの症状が出たときにはもう、手術では取りきれない状態になってしまっていることが多い。それがサイレントキラーと呼ばれる所以だ。気を付けてどうにかなるものではない。運が悪かった、としか言いようがない。ロシアンルーレットに当たったようなものだ。おそらく川上さんは、がんが発見されてから3年間、手術と抗がん剤などの闘病生活をたえず続けてきたのだろう。ああ、お疲れさまでした…。本当に悲しい。ご冥福を心よりお祈り致します。

…私は当時、本気で、「潔くカッコよく生きていこう」と思っていた。思っていたんだよ。笑ってくれよ。あのアニメは迷える女子の指針だったんだよ。いつしか、その憧れは自分の中で消化吸収され、裏打ちされて、今ではすでに自分自身の信条になってしまっているよ。(2011/6/10 29時)