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仮面ライダーオーズ10周年記念映画『復活のコアメダル』を見た

仮面ライダーオーズ10周年記念映画『復活のコアメダル』を見た。

※以下映画のネタバレしかないので、ネタバレを見たくない方は回避してください。

先行上映組が続々とファントムを生み出し各地でサバトが開催されているのを見ていたので、心の弱さを自覚している私は、ネタバレありの掲示板やブログやふせったーや映画レビューサイトを事前に熟読し、完全に予習してから映画館へのぞんだ。子どもを連れて行って大丈夫かを判断する必要もあった(だめだと判断して一人で行った)。

ちなみに私は、オーズ直撃世代の子どもとともに当時のTV放送をのめり込んで見ていた人間である。2011年放送当時、東日本大震災がおきて福島第一原子力発電所が爆発した。一日何回も緊急地震速報が鳴り響き、小刻みな余震が絶えず発生していた。放射性物質の被害がどのくらい広がっていて、いつまで続くのか誰にもわからなかった。そんな中、我慢や自己犠牲を徹底して否定し、人間の欲望を高らかに肯定しながらすべての誕生を祝福する「仮面ライダーオーズ」という物語に、どれだけ救われたかわからない。当時の私は日曜日の朝のために生きていた。先日行われていた仮面ライダー大投票でも、入れられる票はほぼすべて仮面ライダーオーズと将軍と21のコアメダルとMOVIE大戦MEGA MAXとTime judged allに入れた。小説版オーズも発売してすぐに買って読んだ。

中学生に成長した長男のみならず、当時生まれていなかった園児である次男も、いまだに13年前の商品であるDXオーズドライバーとDXメダジャリバーとDXタジャスピナーで遊ぶ。DXオーズドライバーは10年に一度の傑作玩具だと思う。変身して楽しい、メダル投げても楽しい、音を鳴らして楽しい、ただ眺めているだけでも楽しい。オーズになりきって「変身!」する子どものために、「オイこれを使え」とぶっきらぼうに言いながらメダルを投げさせられた回数は数知れない。津波の映像を流し続けるTVニュースを背景に、無邪気に変身して遊ぶ子どもの姿を私は今でもあざやかに思い出せる。彼らにとって火野映司はいまでも「ヒーロー」かつ「自分」であり、私にとって火野映司はすでに「10年育てた息子」なのである。

子どもを映画に連れて行くのをやめた判断は、結果として大正解であった。

私の視聴直後の感想は不覚にも「『がんばれいわ!!ロボコン』よりはましだったな」というものであった。事前の予習により心の中のハードルを最大限に下げた努力のたまものといえよう。『がんばれいわ!!ロボコン』を映画館で見たゲテモノ東映特撮大好き人間のねじ子にとって、今作は「思っていたよりも食べられる料理が出てきた」と感じてしまった。私の中の映画星取レビューは「がんばれいわ!!ロボコン<復活のコアメダル<スーパーヒーロー大戦」だな!どれも星1つだけど!

なぜなら、この映画はラスト5分まではそこそこ面白かったのである。ラスト5分で、ここまで積み上げてきたキャラクターの行動原理と物語のテーマが突然すべてひっくり返ったので驚いた。最初の50分とラスト5分(正確にはゴーダの裏切りのあたりから)で別の作品をくっつけたのではないかと思うほど、脈絡が離断しているのだ。

今からでも遅くないからアンクが腕にくっついてる映司が砂浜を歩く映像を作って、ED後に3秒でいいから流してくれないかな。まじで。そうしないと映画内ですら矛盾がはなはだしくて、見ていられないよ。「なんで映司くんが助かる手段があるのに使わないの?さんざん自分たちで『信吾のときのようにできる』『最後まであきらめるな』と言ってたのに?アンクくっつけたまま映司の体を治す旅に出る(たまにアンクが不貞腐れてどっか行っちゃって比奈ちゃんが怒るギャグ回がある)でよくね?何がダメなの?」という、視聴者の「誰もが」もつ疑問への答えは、この映画のどこにもない。

つまり、これは「映司が死ぬ」という「結論ありき」で作られた映画である。おそらくこの映画の作者(誰だか知らない)は「一個の命を戻すには一個の命の犠牲が必要」という等価交換の価値観を強くもった人なんだろう。それ自体は理解できる信条である。しかしそれは「仮面ライダーオーズ」という作品のテーマとは致命的に食い合わせが悪い。壊滅的なほどに合わない。だから最初の50分とラストの5分で物語が乖離してしまっている。「命の等価交換のお話がやりたいならオリジナルでやれ。オーズの10周年でやるな」としか言いようがない。

だって映司くんはすべてを救う手段を最後まであきらめずに考え、狡猾にそれを成し遂げるヒーローなのである。映画『将軍と21のコアメダル』で「ここにいる全員が家族だ」と言い放って悪役さえもだまし町民全員を救ったように、映司は誰よりも大きい欲望をもって目の前にいるすべての人間を救おうと最後まで冷静かつ強かに知恵をしぼる人間なのだ。この映画の中でさえ、そう語られていたではないか。アンクとジェネリック爆撃少女(なんで最後出てきたの?)を助けて満足して死を選ぶなんて、そんな小さい欲望で映司が満たされるはずがない。彼のもっている危うい自己犠牲的な側面はTV本編で否定されつづけ、最終回に「他人と手をつなぐことでより広い範囲まで手が届く」という結論にたどり着いたのではなかったのか。

震災による自粛が叫ばれる中、「我慢しないでいい」「もっと欲しがれ」「欲望こそが明日を切り開く」がオーズという物語最大のテーマであった。それは当時の私にとって、絶望の中で光り輝く生命賛歌であった。こんなテーマのヒーロー作品は他に類を見ない。自己犠牲こそを尊いものとして美しく伝え、欲望を否定する英雄譚はこの世にありふれている。そうじゃない、むしろ真逆だからこそ「仮面ライダーオーズ」という物語は今でも特別な人気があり、映司は唯一無二のヒーローであり続けてきたのだ。

そして、グリードであるアンクはさらに欲望に忠実な存在だったはずである。そんな彼が最後に自分を捨てて映司の暴走を止め、自らは消えていくというのがこの作品の、主人公と対となるテーマであったはずだが、……なんでアンク突っ立って泣いてるのよ。そんなタマじゃねーだろ。もっと欲しがれよ。伊達さんも医者でしょ。なに突っ立ってるのよ。胸骨圧迫のひとつもしろよ。私が好きだった伊達さんはそんなヤブではなかったはずだ。

そもそも当時壊れたはずのメダルが普通にもりもり残ってるのはなんで?どの時間軸とつながってんの?MEGA MAXとつながってる世界なら、風都も天の川学園も2021年には壊滅してるし、仮面ライダーWとフォーゼもここまで助けに来れないほど無力化されてるってこと?平ジェネFINALとつながってるならエグセイドまでのライダー世界も全滅に近いのでは?「全人類の8割死んでる」「メダルのことを知っているのはここにいる人間だけ」って、オーズが本編で助けたゲストキャラもみんな死んじゃったの?剣道少女もマイペンライも八景島シーパラダイスのトイレの福くんももういないの?そんなの嫌だよ!!あとなんかベルト増えてない?全部で3つくらいあるような。鴻上ファウンデーション製であるメダジャリバーを古代王はどこからもってきたの?メルカリで買った?ノブくんの剣とメダジャリバーで二刀流になったときは面白すぎてポップコーン吹き出しちゃったよ。東映の倉庫から引っ張り出してきたのかな?なんでもありだね!あとなんでアンクは王の中で紫のメダルを取り出して外に投げられるのかな?それができるならTV本編後半でやればよくね?映司グリードの悲劇がすべて台無しじゃない?そもそも瀕死の人間にしかアンク取り付けないはずなのに、お兄ちゃん別に瀕死じゃないよね?お兄ちゃんのこめかみに指をあてれば記憶を全部読めること、アンク忘れちゃった?なんで比奈ちゃんすら兄の人権をずっと無視してんの?そもそもアンクって寄生主の意思で追い出せるような生ぬるいシステムだったか?それならTV本編のお兄ちゃんは気合が足りなかっただけになっちゃうよね?そもそも古代王が復活して他のグリードを蘇らせたときに、アンクのコアメダルだけが「都合よく」復活していないのはどうして……?

……果てしなく「そもそも」が出てくる。これら多くの「ご都合主義」は、ラストの展開のためにすべて目をつぶらされている。いくらなんでも多すぎる。目をつぶりきれない。

お祭り映画ならば、ご都合主義でも私は許すんだよ。『将軍と21のコアメダル』に「なんで暴れん坊将軍がいるんだよ!なんで将軍がメダル持ってるんだよ!」などと突っ込むのはきわめて野暮だ。サービスでフォームチェンジをいっぱい出したっていい、お祭り映画ならば。ゴーカイジャーがオーズ全コンボにゴーカイチェンジしてガレオンバスターぶっ放したっていい。当時は呆れ果てたけどもうぜんぶ許す。いま思えば、あれだけうんざりしていた春映画だってまだマシだったんだな。だって「パラレル」だもん。全部なかったことにできるから。

恐ろしいことにこれは「完結編」なのである。「本編です!正史です!大人向けです!キリッ!」という姿勢でお出しされている作品なのだ。それならば、TV本編での成長がすべてなかったことになっている物語と、あふれるほど多い矛盾点から目をそらすことはできない。これらはシンプルに前作の勉強不足と設定無視であり、誰が制作したものであろうと、言い訳がきかない杜撰さである。考えれば考えるほど「公式が解釈違い」「公式が勝手にやったことだから私には関係ない」という言葉が口からあふれ出てきてしまう。どちらも、今までのオタク人生で禁句にしていた、絶対に言わないようにしている言葉なのに!

なお演者さんはみんな最高だった。浅井さんのオーズも線が細く軽やかでよかった。まあオーズだったのは古代王にやられる一瞬だけで、ずっとゴーダ(かアンク)だったんですけどね!だから高岩さんに似ていなくても別にヨシ!なんだよね!よくねえよ!!!!なんだかなぁ!!ゴーダのキャラは、映司のファンボーイ丸出しでアンクと絡みたがるウザさがこちらまで伝わってきて、結構よかったんだけどね!でも(ラストの展開に無理やりつなげるために)裏切りが唐突!あとコンボの音楽はちゃんと流せや!それがオーズだろ!タジャドルすら流れないってどーゆーことだよ!!(だんだん言及が細部になってきました)

それより何より。ヒーロー玩具好きとして「10年間オーズを買い支えた結果がこれかよ……」という失望感がどうしても、どうしても止められない。これは本当に困っている。私が貢いだ金で、私のヒーローが殺されてしまった。しかも整合性もなく、唐突に。そんな作品が作られてしまった。これが私には耐えがたい。

「仮面ライダーオーズ」は大人向けアイテムの販促が長期間続いている奇跡的なIP(のうちの一つ)だと思う。大人向けのプレミアムバンダイ限定商法が非常に上手くいき、関連商品がコンスタントに出続けていた。少子化が進む中、戦隊好きの私としては羨ましく思うほど、大人向け玩具展開がうまくいっている「金の成る木」だったと思う。だからこそVシネマを作る企画が通ったのだろう。私ももちろん、オーズに定期的にお金を使っている人間のうちの一人であった。オーズという作品は10年間ずっと「客はお金を使って幸せ → バンダイもおもちゃが売れて幸せ → 東映も作品を作れて幸せ → 客は新作が見れて幸せ、演者もときどき思い出してもらえて幸せ」という完璧な「正の」フィードバックができていた。そんな奇跡のようなヒーローだったのに。『復活のコアメダル』を見てからというものの、わたしは過去の東映特撮作品にお金を使うことをひどく躊躇している。だってそのお金で、私の大好きなヒーローやヒロインが殺されるかもしれないんだよ!そんな「死の商人」になってたまるか!

私にはオーズの他にも「続編を作ってもらいたいから」関連商品を買い続けているIPがある。仮面ライダーマッハとかチェイスとかシンケンとかゴーカイとかルパパトとかね。私が今後6年間ルパパトを買い支えた金で作られる『10 years after』で、魁利くんや初美花ちゃんが整合性もなく死んだら私は許さない。許さないぞ!(※オーディオコメンタリーで演者さんが「許さない、と思った」と語っていると聞いた。少なくとも演者さんとは解釈が一致しているようでほっとした、私も同じ気持ち)。確実にファントムになって暴れまわり一人サバトを開催する自信がある。オーズと同様に「いやぁ快盗は放送当時から死亡エンド案もありましたからねぇ」なんて、したり顔で識者に語られたりしたら、もう目も当てられないほど怒り狂うだろう(『秘めた思い』の歌詞を見るかぎり快盗には死亡エンドが想定されていたと思う)。まぁつまり今のわたしは目も当てられないほど怒り狂っているってことだな。ふふ。今から先に予防線を張っておく!香村さんが脚本じゃないなら、ルパパトの続編は作らないでいいから!!センパイジャーは香村さん脚本だからすごく楽しみにしている!魁利くんおかえり!元気にしてた?初美花ちゃんは元気?

こうなると「続編が作られない作品のほうが幸福」のみならず「作品を守るためにはファンが金を使わないほうがいい」という逆転現象まで起きてしまう。負のフィードバックである。役者さんが非協力的なIPのほうが幸せ、売れなかったIPの方が恵まれている、ということになってしまう。思い出の中でじっとしていてくれるのだから。実際に、私のニチアサの親は井上御大であり、私は仮面ライダーキバが大々々好きなのだけど、キバは後から少しも汚されない。変なものを後から付け足されることもない。主人公が一年間命をかけて守った平和がおびやかされることもない。幸せだ。ちょっとマンホールが飛んでくるくらいどうということはない。

私は自分と自分のヒーローを守るために、この映画を脳内消去した。私の中の映司くんはいまでもアンクを復活する方法を探しながら世界を旅している。またはTV本編→『復活のコアメダル』→MEGA MAXでアンクとミハルが戻って時系列分岐、絶滅回避→平ジェネFINAL→映司くんの旅は続く……という「ゼルダの伝説」や未来トランクス形式の時系列だと勝手に思い込むことにする。あぁ、本当はこんなこと書きたくなかった。でもこの一週間私はずっともやもやしていて、この記事を書かずに鬱憤を消化することが結局はできなかった。

私は今でも、自己犠牲を徹底して否定しながらすべての人間を救おうとし、欲望を高らかに肯定する唯一無二のヒーローである仮面ライダーオーズを愛している。(2022/3/19)

追記:お口直しに押し入れから12年前のDVDを引っ張り出してきて、当時生まれていなかった子どもと一緒に踊りながら見ました。子どもが楽しめる動物クイズもあり、すごくよかったですよ。

2020年 ねじ子の楽曲ランキング(後編)

※今更2020年の楽曲ランキングです。新型感染症流行に免じて許してほしい。

※一定期間たったら、執筆時の時系列に記事を移動させます。

6位 ご唱和ください 我の名を! / 遠藤正明

特撮番組『ウルトラマンZ』オープニング主題歌。テンションが上がる最高の曲。
『ウルトラマンZ』は最高の特撮ドラマだった。ウルトラマンは『Z』以降、大躍進している。私が思うその理由は以下である。

・Zのシナリオが完璧、完璧、完璧。
・ZのSF考証もバトルも映像も巨大特撮も最高。
・坂本監督は最高です!
杉原監督がルパパトで見せたあのグルグルまわるカメラワークを、坂本監督がリュウソウジャーで学び、ウルトラマンZに持っていったことがよくわかる映像美だった。あのカメラワーク、本家の戦隊では最近ぜんぜんやってくれないんだよね……。どうして……。
そして坂本監督の過去作リブートの巧みさは、あいかわらず卓越している。『MOVIE大戦アルティメイタム』のときに坂本監督は「石ノ森アベンチャーズやりたい」って言っていた(できていない)。それを実際に実現しているのが『ウルトラギャラクシーファイト』である。太っ腹にもYouTubeで無料配信である。世界中のファンが同時に盛り上がっている。ウルトラマンは古くなっておらず、10年前に買った指人形すらも現役のおもちゃとして使える。
・人物描写が最高だった、とくにヨウコ先輩とマッド・サイエンティスト・ユカ。キラメイジャーの女性描写の前時代ぶりと女子陸上選手をお尻のアップから撮るカメラワークとは雲泥の差であったと言わざるをえない。
・思わせぶりで、たっぷりと過去作を持つヘビクラ隊長の怪演。「ヘビクラの過去を知りたい!」というZ新規視聴者の欲求と、過去作がネットで見やすくなっているウルトラのネット環境の良さが、ぴったりとはまった。2021年12月現在ではついに、ニュージェネレーションのすべてがAmazonPrimeで見られるようになっている。これらは今のウルトラの強さの源だと私は思っている。
・ネット配信の充実ぶり
最も重要。『ウルトラマンZ』は、TV放送からすぐにYoutubeやAmazonPrimeで見ることができたため、簡単に本放送に追いつくことができた(緊急事態宣言のステイホーム中に見始めた)。ネット上での特別番組や見逃し配信も多く、子どもも親も非常にアクセスしやすい。コロナの自宅待機時期に放送されていて、一話も飛ばさずに全話放送できたことも(偶然のタイミングであったのだろうが)よかった。どこにも出かけられない子どもと親の憂鬱を、『Z』は大いに晴らしてくれた。

・ソフビの出来がよく、値段も手頃で、怪獣も含めたコレクタブルな玩具として充実している。ライダーの小物商法よりも廉価だし、一年で使い捨てにされない。出番も活躍もある。
ウルトラマンのソフビは『ウルトラマンギンガ』当時に一新され、サイズがぐんと小さくなった。私は同時とてもがっかりしたし、ぶーぶー文句も言った。言ったけど、いやぁ、私が完全に間違っていました。すみませんでした。
(現状の「仮面ライダー」ソフビは値段の高さと無駄な大きさと塗装の少なさが目立ちすぎるし、現状の「戦隊」のソフビはついにレッドと追加戦士以外はろくに販売されなくなってしまった。ギンガ当時のウルトラソフビの展開は、きちんと時代に沿った戦略だったんですね……。)
・怪獣の人気が根強い。過去怪獣を最新の番組に出せるシステムを、十年掛けて作り上げた。ヒーローと戦わせるブンドドの相手役として最適である。(仮面ライダーの怪人はおもちゃとしてなかなか根付かないのか、敵もライダーばかりになってしまった。)

・DX玩具の出来のよさ
ウルトラマンZの変身玩具『DXウルトラゼットライザー』は、10年に一度の傑作玩具『仮面ライダーオーズドライバー』と同じシステムであった。(そして偶然なのか何なのか『仮面ライダーセイバー』の三冊変身システムもオーズドライバーによく似ていた。)
私はDXウルトラゼットライザーとセブンガーをさわってみたくて、いてもたってもいられなかった。しかし時は緊急事態宣言下である。おもちゃ屋さんも営業していない。仮面ライダーオーズのDX玩具を持っている子どもたちは、『ウルトラマンZ』をめちゃくちゃ楽しく見ているものの、DXウルトラゼットライザーとウルトラメダルにあまり興味を示してはくれなかった。長男には、はっきりと「うちにはオーズのベルトとメダルがあるから、Zライザーは別にいいかな」と言われてしまった。彼らの年齢的にも「なりきり」の欲求がすでに希薄になりつつあり、玩具の可動システム自体に興味が移行している時期ゆえの当然の反応なのだと思う。でも私は、DXウルトラゼットライザーとセブンガーをさわってみたくてしかたがなかった。

コロナが落ち着いた7月頃に、私はようやくおもちゃ屋さんへ行くことができた。久しぶりに行ったおもちゃ屋からは、玩具を直接さわれる「試遊コーナー」が撤去されていた。そりゃそうだ。セブンガーはどこへ行っても見る影もなく、ウルトラメダルセットも売り切れの店が多かった。

たまたま仕事で東京駅を通ったとき、専門店・ウルトラマンワールドM78 東京駅店にて私は初めてDXウルトラゼットライザーをさわることができた。店員のお兄さんが飛んできて、本当に丁寧に、うれしそうに使い方を教えてくれた。東京駅のウルトラショップの店員さんはウルトラマンが大好きな人たちばかりで、いつも本当に親切にウルトラマンを教えてくれる。私は何年たってもウルトラマンと怪獣の解像度に自信がないので(頼まれたものと違うものを買ってしまいそうになる)いつも店員さんに助けてもらっている。コロナで会話がマスク越しになっても、以前と変わらず親切な店員さんが饒舌に商品を教えてくれることが嬉しかった。知らない人と好きな作品について長い時間話す、という体験自体も本当に久しぶりだった。
店員さんもきっと嬉しかったのだろう、私もいろいろと質問された。Zからウルトラマンを好きな子どもが保育園にどんどん増えていること、ほかに流行っているヒーローのこと(鬼滅と答えた)、どの媒体でZを見ているか(店員さんはYouTubeだと思っていたようだが私はAmazonPrimeと答えた)、ヘビクラの過去を知りたければ何を見ればいいのか、これからYoutubeで新作の配信が始まるからぜひ見て欲しい!おすすめです!ということ……いろいろ教えてくれた。
おそらく私よりも一回り以上若い店員さんから、ウルトラマンが大好きで大好きでしかたがないという激情があふれ出ていた。それはコロナ禍で人と人が分断されている中、私が久しぶりに感じる生命の息吹であった。10年ほど辛酸をなめながら地道に蒔きつづけていたウルトラマンというコンテンツの種が、ついに芽吹き美しいつぼみをつけ始めている。彼は再生の瞬間に立ち会っているのだ。その高揚感がこちらにも痛いほど伝わってきた。コロナによる圧倒的閉塞感と不景気の中で感じる、数少ない沸き上がる情熱に私も嬉しくなった。

7位 ポケモンしりとり / ポケモン音楽クラブ(増田順一/パソコン音楽クラブ/ポケモンキッズ2019)


アニメ「ポケットモンスター」エンディングテーマ。

2020年から始まった新しいアニメシリーズ、無印の「ポケットモンスター」。そのEDが『ポケモンしりとり』である。子どもたちと一緒に歌える、遊び歌だ。ポケモンセンター内の回復音のSEがジングルとして入るところがよい。「しりとりで一回『ん』になって瀕死になったけど、また生き返った」ということがよくわかる。子どもたちの歌声もいい。

この曲は今後、長く使える。これは私事であるが、たくさんの子ども達と、ある程度の時間を一緒に潰さなければいけないとき(電車を待っている、渋滞中のバスの中、遠足の合間の待ち時間など)私ができる最も効果的な遊びが「ポケモンしりとり」である。ポケモンの名前だけで、ひたすらしりとりをする。たとえ初めて出会った子どもばかりであっても、子どもがポケモンを知っていたら、これで30分は潰せるのだ。大変ありがたい。私はこれまでの人生でこの手段をすでに8回ほど使って、日常における危機的状況を乗り切っている。

ちなみに、子ども達がしりとりに飽きたら次は「ポケモンものまね」をする。LoVendoЯの宮澤茉凜ちゃんが当時ブログでやっていた「スボミーのものまね」からアイディアを得たジェスチャーゲームだ。ポケモンのポーズのマネをして、何のポケモンか当てる。

例:
・首を少し震わせた後に大きく左に傾ける → 「ミミッキュだ!」
・後ろから棒を抜いて振り回し、後ろに戻す → 「テールナー!」
・パントマイムの壁→「バリヤード!」
・タップダンスして両手を広げる→「バリコオル!」
・リフティングの後シュートの仕草→「エースバーン!」
・口を丸く開けて両手のひらを前に向けてゆらゆら左右に揺れる→「ルージュラ!」
など。これで15分は潰せる。

ポケモンしりとりもポケモンものまねも、子どもたちと一緒に長い時間を楽しく安全にすごせる遊びである。暇つぶしの道具を持ってきていないときにおすすめします。

前アニメシリーズであった『ポケットモンスター サン&ムーン』は、かなり思い切って低年齢向けに振り切った内容だった。永遠の10歳であるサトシが――ポケモン以外は頭の中に存在しないサトシが――初めて学校に通う描写がされた。学校生活の中で、ポケモンとのふれあいを全面に押し出す内容であった。

その反面、バトルは非常に少なく、タイプ相性などのポケモンバトルシステムの説明もほとんどなかった。ポケモンバトルが大好きな私や、高学年の長男にはバトル描写のない『サン&ムーン』は極めて不評であったが、保育園児である次男やその周囲の子どもたちには大人気であった。『サン&ムーン』は一話ごとにわかりやすく、入りやすく、親しみやすい。そのように作られていた。つまり対象年齢を下げたのだ。そしてそれは成功した。園児や小学校低学年児に『サンムーン』は大受けであった。YoutubeやAmazonPrimeにすぐにアニメが上がって世界中ですぐに見られるようになったのもよかった。同時期に『ポケモンGO』の大ブームも起こり、ポケモンはその対象を幼児から高齢者まで広げた。

その後、満を持して新作ゲーム『ソード・シールド』が登場。アニメは何も冠しない『ポケットモンスター』となった。ポケモンはいまや、3歳くらいの児童から社会人までの男女ともに大人気である。デジタル機器の普及によってゲーム開始年齢が低年齢化した影響もあるだろう。10年前は「ゲームは早くても小学校入学から」だったように思うが、いまや3~4歳からゲームを始めている子どもが多い。「お気に入りYoutuberのゲームプレイ動画を勝手に何時間も見続けている現状よりは、自分でプレイさせた方がマシだ」という親の(あきらめに近い)判断もある。

ポケモンが未就学児にも大人気になって私は素直に嬉しい。『XY』のころ、ポケモンをやっている未就学児は私の息子しかいなかった。園や学童の先生たち(20代が多い)には「彼とだけはポケモンの話題ができて嬉しい」と言われていた。あの頃、ポケモンバトルの解説動画をコンスタントに上げてくれていたのはニコニコ動画におけるもこう先生しかいなかった。私はポケモンバトルのすべてを「ポケモンXY 新・厨ポケ狩り講座!」で学んだ。時代が変わり、もこう先生がYoutube動画配信で大金を稼いでいるっぽいこともこっそり嬉しい。

8位 私がモテてどうすんだ / Girls²


映画「私がモテてどうすんだ」主題歌。

2020年はねじ子史上、最も「映画館で」映画を見た年でもあった。このご時世ならではである。
①休日が不定期な上に、友人と遊べない
②一人で時間を潰すしかない
③(感染対策)人混みはいやだ。すいているところがいい
④(感染対策)外食はまったく落ち着けない

この4つのコロナ対策を解決してくれる娯楽が、郊外の映画館いわゆるシネマ・コンプレックスであった。なんといっても客席はガラガラである。それでも毎日、朝から晩まで営業してくれている。一席とばしで席を販売しているので、ソーシャルディスタンスが「完全に」保証されている。これは本当に快適かつ安心であり、孤独な私に合っていた。コロナが終わっても市松模様で売りつづけて欲しいくらいだった。

映画館独自で様々なキャンペーンを行っていて、サービスもよかった。ドリンクが飲み放題だったり、ポップコーンも食べ放題だったり、どちらも半額だったりした。映画館内は周りに人がいないうえに、正面を見て食べればいいのだから「外食の感染リスク」はほぼゼロである。

映画自体のチケットも安かった。一日見放題・半額キャンペーン・ポイントバックなどなど、人寄せのため様々なキャンペーンを行ってくれていた。そしてそれでも、客席は空いていた。たった一人の観客で貸切状態で映画を見たのも人生で初めてであったし、2本続けて見る体験も初めてであった。そんなこんなで私は2020年、人生で一番多く、映画館で映画を見た。「こんな中でも私は文化を支えているんだ!」という優越じみた使命感と、「私は困っている人につけ込む詐欺師のような客だな」という申し訳ない感情の両方が沸いた。

名作も迷作も洋画も邦画もアニメも実写も、とりあえず広告で何かがひっかかれば見た。ちなみに2020年個人的ベスト映画は『劇場版騎士竜戦隊リュウソウジャーVSルパンレンジャーVSパトレンジャー』と『アナと雪の女王2』、ワーストは『がんばれいわ!!ロボコン』だったような気がするのだが、『ロボコン』の後の『スプリンパン まえへすすもう!』があまりに、あまりに衝撃が大きかったため正直『ロボコン』の内容をあまりよく覚えていない。私の心もスプリンパンのお母さんと一緒に遠い夜空に飛ばされてしまったようだ。『スプリンパン』はAmazonPrimeに入っているので皆さんもぜひ見てほしい。「5分でいいから見て」というコメントであふれているが、まったくもってその通り。5分でいいから見て欲しい。サブ・スクリプションで見るぶんには最高の映画だ。映画館で見ていると、このドラッグ映像がどこまで続くのか本当にわからないから(『スプリンパン』は3本同時上演の中の真ん中だった、しかも多くの観客の子どもの本命は最後に上映される『人体のサバイバル!』であった)血の気が引くほどの恐怖を味わうことになる。鑑賞中に「もうどうしたらいいかわからないよ」と思った映画は初めてであった。横で見てる子どもにも、なんて声をかけたらいいかわからなかった。困惑で唇が震えた。終了時には3時間ロードショーを乗り切ったほどの疲労感を味わうことができた。あ、『人体のサバイバル!』は本当よくできたいいアニメでした、原作も大好きです。

スプリンパンはさておき。映画『私がモテてどうすんだ』を私は一人で見た。客席には私一人しかいなかった。どこの席に座ってもよかった。でも私はいつもと同じように、廊下に出やすくトイレに行きやすい後方の通路脇の席で映画を見た。(ちなみに続けて映画『ソニック・ザ・ムービー』も見た。『ソニック』はアメリカで受けるに決まっているヒーローものとして非常によくできており、ハリウッドのマニュアル通りの完璧な筋書きで、だからこそ、私があえて書かなくてはいけないこともなかった。)

『私がモテてどうすんだ』は、思春期女子が「恋愛すること」ではなく、「いま誰とも恋愛をしていないこと」を肯定する珍しい映画であった。思春期女子にまとわりつくルッキズムと、外見が変わることによって(中身は一つも変わってないのに)周囲(特に異性)のからみつくような視線の質が変化することへの嫌疑感と、努力する自己への肯定感を、時代に合わせて上手く表現していた。

女子高生の頃の自分であったら、映画の中に入りこみ、主人公または主人公の親友あまねちゃんにアイデンティファイして一喜一憂していたに違いない。「私のことを描いた映画だ」と思っただろう。そしてそれは「私を肯定してくれている映画だ」という自己肯定につながったであろう。主題歌の「行くぜ ベイベベイベ FU FU GiRL 恋も愛もくだらないわ!」と宣言するサビの歌詞は「腐女子」とダブルミーニングであり、その陳腐さにとまどい笑いながらも、歌詞に大いに共感し、励まされ、脳内に繰り返し鳴り響くアンセムになっていたに違いない。

しかし私はすでに女子高生ではない。

この映画の正しい見方。それはイケメン俳優目当てでシネコンに来た女子高生二人組が映画を見た後に、階下のフードコートでたこ焼きとフライドポテトを食べながら、「映画の中のどの男子が好みか」をきゃあきゃあと笑いながら伝えあうことなのである。親友といえる女子と映画を見た後に、映画館で飲みきれなかったメロンソーダとコカコーラをストローですすりながら「自分は五七派か、七五派か」を真剣に話しあうこと。かけがえのない、その年代でしか持てない貴重な時間を同性の友人と共有すること。それこそがこの映画の正しい鑑賞方法である。

しかし私は女子高生ではない。子持ちの中年女性だ。年齢は彼女らの親に近い。すっぴんでボロボロの仕事帰りだ。鞄の中には、100円均一で買ったレインコートがぐしゃぐしゃに丸まって入っている。なーんも防護具がない環境を体験した2020年4月以来、医者の仕事に行くときは必ず持ち歩いている防護服代わりのレインコートだ。映画館階下のフードコートはガラガラで、映画を見た後に語り合っている女子高生など一人も見当たらない。そんな世情であることも悲しい。

ちなみに私は七五派だ。誰も聞いてない。そう、誰も聞いていない。そんなことを聞いてくれる友達は、この世にはいるけど、いま私の隣にはいない。

私にだって級友もママ友もパパ友も存在する。でもみんなそれぞれ忙しい。しかもコロナである。育児に仕事にいっぱいいっぱい、追い詰められて目が回るほどであるだろう。さらにコロナである。こんな状況で医療従事者に会うなんて、恐ろしいに違いない。子どものお迎えに行って、保育園の前ですれ違うときだって、お互い会話もせずにおじぎ程度ですませているというのに。このご時世で誰が医者なんかと会って話したいものか。今日の空き時間だって、たまたま予期せずできたものだ。仕事終わりの奇跡的にできた空白の時間に、私は一人でふらっと映画館に寄ったのだ。感染症流行中のこんな中でも、なんとか楽しめる余暇を見つけ出したのだ、たった一人で。そんな突然の気まぐれに、誰が付きあえるものか。

映画館から出たら外は霧雨であった。私はここまで自転車で来た。くしゃくしゃのレインコートを無言で広げた私は、びしょ濡れになりながら自転車をこいで家へ帰った。

※本家MV。ここまで歌詞と映像に関連性がないと、見ていて何かを語ることができない。Girls²には『ガールズ×戦士』シリーズで毎週見ていた女の子たちが所属しているはずなのだが、モノクロ眼鏡で同じような衣装のためそれさえも区別がつかない。名曲なのに、もったいないと思う。

9位 紅蓮花 / Lisa

アニメ『鬼滅の刃』の主題歌。曲自体は2019年の曲である。

2019年末にはすでに、音楽会で保育園の子ども達が(客席の小さい子ども含めて)自然発生的に『紅蓮花』を大合唱していた。「鬼滅はこんなに小さい子どもたちにも人気なのか!」と驚いた。「人があんなに簡単に死ぬのに!サイコロステーキになるのに!まじで!」という衝撃である。もちろん私の子どもたちも大声で一緒に歌っていた。彼らは勝手に『鬼滅』のアニメをAmazonPrimeで見ていたのだ。いつのまに。小学生の間ではアニメ化の前から『鬼滅の刃』の単行本が人気だったのは知っていたが、まさかここまで低年齢に浸透していたとは思わなかった。

さきほど「パウ・パトロールは戦隊ものである」と書いたが、『鬼滅』もまた「戦隊もの」なのである。「パウ・パトロール」と違って『鬼滅』は戦隊ものと直接かぶってはいないし、かぶせてきてもいない。ただ、消費者として子ども達が味わっている「要素」が、鬼滅と戦隊もので非常によく似ている。わかりやすく色分けされた個性の強いキャラ、一人では弱い主人公たちがチームとなって鬼に勝つ、頼れる複数の年長者の存在、滅私の象徴であるリーダー、これら全員が一丸となってより強い敵を少しずつ倒していきながら成長する……という物語構成が、たまたま戦隊とかぶっているのだ。例えばオタトークをするときに「チームの中で少し引いているようなクールで強いキャラが好き」という場合、昔ならば「戦隊ものでいうブルーのような」と言えば通じたのだが、今だとこれでは通じにくい。「鬼滅の冨岡義勇のような」と言うと通じてしまう。

非常事態宣言が終わった後にひさびさに近所の大型玩具店へ行ったら、『鬼滅』が一列を占めるようになっていた。戦隊の列はなくなり、仮面ライダーの列もなくなり、そのふたつはまとめて1/2列の棚に押し込められた。かわりに鬼滅と呪術とウルトラマンソフビとすみっこぐらしとアニアとポケモンと任天堂関連商品が、その場所を少しずつ埋めている。悲しい、と同時に「そりゃそうだろうな」とも思う。だって鬼滅の登場人物は男女ともに強く優しく、弱者を搾取する独裁者への誘いに決してなびくことがなく、滅私で弱者を救い続ける正しいヒーローばかりだから。

もちろん煉獄さんの鎮魂歌『炎』も好きだ。『炎』を聴くと私の目は勝手に涙を出す。条件反射のようにこの曲を聴くと涙が出てしまう。困る。だから『炎』は「泣きたい」という気分のときにしか再生できない。

10位 ドンじゅらりん / 「みいつけた!」より

(カバー)

NHK Eテレ、3~5歳児向けの15分番組『みいつけた!』内の一曲。番組の主人公であるスイちゃん(6歳・四代目)が歌っている。作詞作曲はくるりの岸田繁。岸田バージョン配信希望。

くるりは今、私の中で第三次黄金期を迎えている。

第一次:アルバム『図鑑』のころの初期衝動ロック。
第二次:『ワールドエンドスーパーノヴァ』の電子打ち込み。
第三次:今。
教育テレビの5分間番組っぽいコンセプトに基づいた作り込みが随所に見られて楽しい。この「おふざけ感」はつんく♂っぽい、ハロプロっぽいとも言える。もちろん、くるりのほうがずっとずっと洗練されていますが。というわけでハロプロの事務所さん、いまこそ岸田氏に作詞作曲をオファーしませんか!?確実に断られる気もしますが!

アルバム『天才の愛』も最高でした。とんでもないタイトルですが最高です。2021年ねじ子の楽曲大賞最有力候補はくるりの『野球』か『コトコトことでん』です。

ここからは2020年ハロプロ楽曲大賞に続きます。続きますが、高木紗友希ちゃんの突然の消失をまだ現実と受け止めきれていない私に、果たして長文が書けるのでしょうか……。(2021/11/20)

2020年 ねじ子の楽曲ランキング(前編)

※今更2020年の楽曲ランキングです。新型感染症流行に免じて許してほしい。

※一定期間たったら、執筆時の時系列に記事を移動させます。

1位 世界が君を必要とするときが来たんだ / オーイシマサヨシ

タカラトミーのロボットおもちゃ販促アニメ『アースグランナー』オープニング主題歌。作詞作曲はオーイシマサヨシさんです。オーイシさん、2017年の『ようこそジャパリパーク』につづいての個人的楽曲大賞となります。

1番Bメロの歌詞「痛いのは無理 めんどくさいのはイヤだ 平気なフリしてマジちびりそうさ ってちょちょっとまってよベイベー これって現実なの!?」が、個人防護具もないのに謎のウィルスにとつぜん対峙せざるをえなくなった2020年4月の自らの現状にぴったりとよりそっていたことが受賞の理由です。

ミュージック・ビデオは時折山※、じゃなかった岩舟山で撮影されております。「仮面ライダー」や「戦隊シリーズ」の撮影でつねづね使われている採掘場跡地です。『アースグランナー』の裏番組かつ、視聴者もおもちゃ売上も完全に食いあうライバル作品のまさに「聖地」といえる場所でそれはもう堂々と、オーイシさんがヒーローになりきっております。爆発を背に嬉々としてヒーローを演じるその姿は、たいへんほほえましいです。

※息子たちはルパパトっ子なので岩舟山のことを「時折山」と呼びます。ルパパト14話で幼稚園児たちが遠足に行こうとしていた場所であり、映画『ルパンレンジャーVSパトレンジャーVSキュウレンジャー』で最後の決戦場所として「明朝6時 時折山 怪盗BN団」と予告状に書かれていたあの場所です。彼らにとってこの山はーー関東近郊で本物の火薬を使った爆破撮影が唯一可能なのであろうあの山はーーいつまでたっても「時折山」なのです。さまざまな東映特撮番組で岩舟山がうつるたびに、彼らは「こんな危険な場所で遠足をするあの幼稚園はおかしい」と突っ込んでいます。いまでも律儀に。

さて、アニメ『アースグランナー』の内容はおもちゃ販促番組としてよく見るもので、特記すべきことはなかった。子ども達は早々に視聴から離脱してしまった。親がついでに見ている範囲としても、特に「引っかかり」を感じなかった。

おもちゃや販売促進や視聴環境もふくめた『アースグランナー』の私の所感は、以下の4つ。

①おもちゃの変身可動、造形のかっこよさ。これは本当に素晴らしい。
②新型コロナウィルスが直撃しても延期も再放送もせず、通常放送をつづけていた点。最高の評価に値すると思う。
③AmazonPrimeですぐに全話が見られること、YouTube見逃し配信の早さ。この二つはコロナウィルス流行下において非常に、非常に強かった。2021年の今、ネット配信が存在しないコンテンツは、幼稚園or保育園から中学校の子ども達にとって「存在しない」コンテンツである。ライダーや戦隊もこの姿勢を見習ってほしい、さもなければ子ども向け東映特撮おもちゃは死んでしまうであろう。
④既存の定番玩具(この場合はトミカ)との連携。

昨今のタカラトミーの児童向け玩具の販売力の強さは、以上の4点にあると思う。

2位 手を洗おう / パウ・パトロール

2020年はさまざまな「手洗いソング」が発表された。医療従事者として本当に本当にありがたい。「日本のみんな、手を洗ってくれてありがとう!みんなのおかげで私はまだ生きてるよ!本当にありがとう!!」って心の底から叫びたい。保証も強制もないのにステイ・ホームしてくれた地域住民の皆さんに、手を洗ってくれる皆さんに、今でもマスクをしてくれる皆さん全員に、大声でお礼を言いたい。これを当たり前だと思っちゃいけない。周囲への感謝は大切。とても大切。

そして私という一個人にとって、2020年もっとも口ずさんだ歌は、カナダのアニメ『パウ・パトロール』が作った『手を洗おう』であった。実用的な意味でもっとも役にたった一曲といえる。私はいまでも毎日、この曲を歌いながら子どもたちと一緒に手を洗っている。

日本語訳MVを出したタイミングの早さ、子どもにとっての歌いやすさ、適度な曲の長さ(手洗いは約20秒間、石けんの泡を皮膚につけた状態にしたい。そしてこれはとても長い。子どもたちにとってはダイオウグソクムシが餓死しそうなほど長い)、番組の最後のおまけ映像として今でも毎週流してくれる律儀さ。すべてが私の子どもたちにぴったりだった。そしてきっと、世界中の子どもたちにもぴったりだった。

子どもに手洗いをさせる(啓蒙する、といってもいい)歌としてもっとも大切なこと。それは「子ども自身が大好きなキャラクターである」ことだ。アニメ『パウ・パトロール』は2020年もっとも我が家で再生された番組であり、園児である息子の注意をもっとも引きつけ、私が休む時間をもっとも長く作ってくれた作品であった。

話が少し変わる。

私は2020年、戦隊もライダーもあまり楽しめなかった。特にコロナ中断から再開して以降、どちらの番組にも制作者と自分のあいだで価値観や倫理観の「ずれ」を認識する場面が多くなった。登場人物に対して「ああ、私は彼らにヒーロー性を見いだすことができない」と思う場面がたくさんあった。新型感染症の大流行で世の中が変わり、私自身も変わり、作品そのものも(撮影の中断と短縮によって)ストーリー展開を大きく変えざるをえなかったのだろう。だから、それに文句を言う気はない。ただ、作品と自分とのあいだで「英雄」に対する価値観があわなくなってしまった。

そんな中で私がヒーロー性を見いだせたのは『パウ・パトロール』と『ウルトラマンZ』と『ヒーリングっとプリキュア』の終盤の展開(2020年という時代に白い衣をまとって戦う少女たちがウィルスである敵と共存する終わりはありえない、根絶しかない)、『鬼滅の刃』の煉獄杏寿郎、そして早朝に再放送中の『暴れん坊将軍Ⅲ』であった。

パウ・パトロールは「戦隊もの」である。子どもたち、とくに2歳から4歳くらいまでの子どもたちは「戦隊もの」という「概念」が大好きである。私も大好きである。

「戦隊もの」という「概念」とは何か。それは、
 ①わかりやすく色分けされた複数の人間が
 ②それぞれの個性を生かし、得意な分野を合わせて「協力」することによって
 ③一人では絶対に勝てなかった強い相手を倒す
という物語の構造だとねじ子は思っている。これは石ノ森先生の偉大な発明である。

①色分けのおかげで、子ども、特に幼児前期(1~3歳くらいの低年齢)でも登場人物の区別をつけることができる。変身前の私服でも、メンバーは必ず自分の色をまとう。
②個性や特技。だれか一人、自分と似た性格や特技をもっていればいい。自分がなりきることができるキャラクターが見つかる。一人遊びを卒業した2~4歳くらいの児童が最も大好きな「象徴遊び」(いわゆる「なりきり」遊び)がしやすい。親は、敵やライバルキャラを演じればよい。
そしてである。協力することの大切さ、他者への思いやりを学べる物語が展開されるのだ。これは見事としか言いようがない構造であり、ねじ子は「20世紀でもっとも偉大な発明である」とさえ思っている。

①色分け ②役割分担 ③一人では乗り越えられない課題が提示され、いったんは負けるも、複数人で協力して課題を乗り越える という、石ノ森先生が発見した「概念」が下敷きになって生まれた作品は世界中に数えきれないほどある。スーパーマンに代表される、たった一人のスーパーヒーローが天才性と努力で敵にうち勝つ成長物語とは性質がまったくちがう。

「戦隊という概念」は世界にもそのままの形で通用している。パワーレンジャーは言うにおよばず、ベイマックスもそう、セーラームーンもそう、プリキュアもそう、メンバーカラー制度をもつアイドルグループもそう。そして『パウ・パトロール』はまさに「そう」なのだ。ちなみに『パウ・パトロール』は世界中のテレビで視聴率一位を取っているし、Netflixキッズ部門の再生回数において長期間トップを独走している状態である。

私は「戦隊もの」という「概念」が好きだ。だから何年も毎週欠かさず、戦隊ものを見ているのだ。仕事をし、家事をし、食事をつくって食べ、入浴して寝るという日々の生活において絶え間なく体を動かしていると、ふと「戦隊という概念」を補充したくなる。自分でもなぜかわからないけれど、補充したくてたまらなくなるのだ。これは禁断症状、医学的には離脱症状と言っていい。『美少女仮面ポワトリン』や『ナイルなトトメス』や『有言実行三姉妹シュシュトリアン』や『来来!キョンシーズ』を幼少期にあびて育った影響なのかもしれない。

そして2020年、アニメ『パウ・パトロール』はその役割をじゅうぶんに果たしてくれた。

それぞれに得意分野があり個性的な、きっちりと色分けされた服を着る犬たち。ポリスカーに乗る、かしこい実質リーダーの警察犬チェイス(青)。消防車にのる消防犬で、ちょっとおっちょこちょいだけど勇気があり、子どもたちが感情移入しやすいマーシャル(赤)。ヘリコプターに乗り、唯一空を飛ぶことができる雌犬スカイ(桃)。パワーブルドーザー乗りで関西弁、食いしん坊のブルドッグ、ラブル(まさにキレンジャーそのもののコメディリリーフ)。清掃車に乗るアイディアマンのロッキー(緑は少し軟弱な発明家、『ゴーカイジャー』と同じ)。ホバークラフトで水面移動が可能なズーマ橙)

まさに戦隊もの、まさにゴレンジャーである。三要素すべてが完璧にブレンドされている。そして主人公は、パウ・パトロールの司令官であるしっかりものの人間の少年ケント(10歳)。視聴者である子どもが、完全に自らをアイデンティファイできる存在なのだ。

様々な場所から集められた6匹の犬がいる。人々の助けを求める声を聞いた主人公の号令とともにそくざに基地に集まる。それぞれ得意分野のアイディアや知恵を出しあい、技術を発揮する。一人ではとうてい勝てない敵やどうにもできない災害も、全員で協力すれば必ず克服できる。命を救い、トラブルを解決し、人々の安全な暮らしを守る。これぞまさに平和を守る「戦隊」である。犬だけど。

今年の戦隊からは失われていた「戦隊ものという概念」が、『パウ・パトロール』にはあった。それはもうキラキラとまぶしいほどに満ちあふれていた。さらにジャッカー電撃隊が発明した第二の「戦隊概念」である「追加戦士」も登場するんだな。雪山救助に特化した白い雌犬・エベレストだ。最高の布陣である。

しかも!(ここから大声)『パウ・パトロール』には彼らに対抗する悪の戦隊6人組が登場するんだよ!!ライバール市長(いい名前だ)直結の、色分けされた衣を着る6匹の猫。その名も「ニャン・パトロール」だ!私はこれを見た瞬間いろめきだった。「VSだ!VSじゃないか!うそだろ?VS戦隊だよ!わーいわーい!私の大好きなVSだ!」と。これはもう『パウ・パトロール』は『ルパンレンジャーVSパトレンジャー』である、と言ってもいいんじゃないかな!?よくないよ!

ちなみに、パウ・パトロールの犬たちは人の言葉をしゃべる。なぜかペラペラとよくしゃべる。他の動物たちは人の言語をまったく話さない。ニャウ・パトロールの猫たちも非常によく訓練されているのだが、人の言葉を話さない。どうしてパウ・パトロールだけが人間と同じ知能を持ち、言語をつかうことができるのか?その理由は、最初から最後までまったく明かされない。作中の人間たちはどうしてそれを疑問に思わないのだろう。それも一切語られない。明らかに異常なのである。

それなのに、『パウ・パトロール』はリアリティ・ラインがしっかりしている。「なんで犬だけが人と同じアイデンティティと知能と言語をもっているの?世界観どうなってんだ?」などと疑問に思うのは野暮だ。だって大人である私も「私のところにもパウ・パトロールが助けに来てほしい!助けてパウ・パトロール!」と思ってしまうのだから。パウ・パトロールの「人助け」という正義の前に、そんなものは些細な問題なのだ。大人の視聴者にすらそう思わせるだけの力がパウ・パトロールにはある。パウッと解決。


2020年当時限定公開された映画『パウ・パトロール カーレース大作戦GO!GO!』も、奇想天外でありながらリアリティ・ラインがはっきりしていてわかりやすく、わくわくするカーチェイス・アクションの連続で、はっきりとした勧善懲悪かつ見応えのある成長物語だった。つまりは最高の脚本であった。主人公の犬の名前が「マーシャル」でありF1におけるメカニックの呼称と同じであることと、ルイス・ハミルトンそっくりのF1レーサーにもクスッときた。

2020年、キラメイジャーの録画をまったく再生しなくなってしまった次男は、一週間で5回くらいパウ・パトロールを見ている。母はさすがに1回で飽きるが、彼はお気に入りの回を複数回見る。それが子どもだ。親が子の興味をコントロールすることはできない。おそらく世界中のタブレットの中のNetflixで同じ現象が起きている。パウ・パトロールのおもちゃは今のところ店舗であまり売ってない。CMもほとんどない。コロナ不況が吹き荒れる中、母の財布は非常に助かっている。クリスマスにはDX日輪刀とスマホロトムと鬼滅のたまごっちと、いくつかの任天堂のゲームソフトがうちに届く。

3位 pray / 赤い公園

津野米咲さんの遺作。同時発売のシングル『オレンジ』をあわせて聴くと、津野さんの中に混在していたと思われる「陰と陽」の両方をかいま見ることができる。

小片リサちゃんがいなくなった10日後に、津野さんがいなくなってしまった。COVID-19流行という世界的にみても最悪だった2020年という一年間において、私が最も落ち込んだニュースは津野さんの取り返しがつかない極端な選択だった。

『pray』のMVを見ると「津野さんはこの作品を最後に旅立つことを、撮影当時から決めていたのではないだろうか」という気持ちになってしまう。実際はそうではないのだと思う。ふと、暗い森の中へ引きずり込まれてしまったのだろう。ふと通りすがった心の闇、死へのいざないに、突発的にのみこまれてしまったのだと思う。私がこれまで目にした、生命を絶つ選択をある日とつぜん取ってしまった症例の多くがそうであったように。

★★

ここからは私事である。

新型コロナウィルス感染症が流行っている。ステイホームしろ、と偉いひとたちは言う。家から出るな、他人に会うな、他人と話をするな、食事もするな、マスクを外すな、と言う。そして、ものすごくしっかりとそれを守ってくれる人達がたくさんいる。素直にありがたい、と思う。それと同時に「とてもつらいことを赤の他人に強制している」ことは、医者である私もわかっている。他人に無償で頼む範囲を、ゆうに超えていると思う。偉いひとたちの言うことを本当に律儀にぜんぶ守っていたら、ストレスが溜まりすぎて死んでしまうだろう、そんな人たちもたくさんいる。コロナウィルスを用心しすぎているゆえに鬱になってしまうほど感受性が高い人には「気にしすぎてはいけません、気晴らしを用意しましょう」「ネットやテレビは控えましょう、ニュースも感染者数も見る必要はありません」「三蜜を避けてたまには出かけましょう、その方がいいですよ」と伝えなければならない。

その一方で、「コロナは風邪だ」「コロナで死ぬのは自然淘汰だ」と公言し、あえてマスクもせず、手も洗わず、熱も測らず、大人数で会食し、大騒ぎしながら毎晩飲み歩いている人もいる。これはもう絶対に、ある一定数いる。そういう方々には、感染対策の具体的方法をゆっくりと時間をかけて説明しつづけ、そのうちの一つだけでも実行してもらう必要がある。

これは二元論ではない。感染対策の「お願い」を内面化しすぎて「守りすぎてしまう人」と「完全に意にかいさない、またはかえって反発する人」。どちらもある一定数の人間がおちいる状態であり、両方への対策が同時に必要になる。どちらかだけ、になってはだめだ。二元論に走ってはいけない。絶対にいけない。前者で暴走すると鬱になり(飲食・芸能に従事する人たちがたくさん旅立ってしまったし、医療従事者のメンタルもちぢに乱れている)、後者が暴走すると感染拡大に歯止めがきかなくなる。どちらも地獄へと続く道であり、患者さんは崖へ向かってがむしゃらに突進する馬車のようになってしまう。

「人によって対策やアドバイスを変える」これは臨床医療において普通に行われていることだ。それなのに、これをメディアや電波やインターネット回線に乗せて「一般論」として語ろうとすると、とたんにむずかしい。どちらの立場に立ってアドバイスをしても、逆の立場の人からの異論や反論が瞬時にあふれ出てくるのだ。SNSというメディア上においてその勢いは猛烈なものとなり、一気にあふれて一個人に押しよせる。それは津波である。私ならばとても立ってはいられない。結果、うかつなことも言えず黙りこみ、ふさぎこんでしまう人がさらに増える。

そういう意味では、尾見先生も忽那先生も西浦先生も、もちろん岩田先生も、彼らの発言はいつもそれぞれに「医学的に正しかった」と私は思っているし、彼らの立場において最大限言えることを精一杯伝えようとしてくれていた。それはかけがえのない大仕事であり、私の精神の安寧は彼らによって支えられていたんだな、と今でも思っている。

4位 だいスキRAP / みんなのリズム天国

2011年発売のゲーム『みんなのリズム天国』の中の一曲。

2020年4月、世界中の人々が一斉に軟禁された。何も悪いことなどしていないのにとつぜん受刑者になったようなものである。外に出られない。運動もできない。買い物も行きにくい。近所の公園に行くことすらもはばかられる。旅行も行けない。コンサートも演劇も開催されない。こんな状況では、もうゲームをするしかないじゃないか。多くの趣味を絶たれた2020年の私は、任天堂のおたくになるしか道がなかった。

思い返せば私は、ファミコンを買ってもらった小学生の頃から極めて浅い任天堂ライトユーザーであり、極めて浅いマリオのおたくであった。いや、おたくですらないな。ほどほどに楽しんでほどほどに時間を費やし、できるならばクリアまでやるけれど、クリアできなかったら自然にプレイ時間が減ってしまうような、こだわりや執着の少ないゲームユーザーだ。いわゆる「エンジョイ勢」である。SNSのプロフに書くなら「ポケモン図鑑コンプ勢/あつ森マイペース時間操作なし/リズム天国switch正座待期/推しは桜井政博」といったところか。実際の私はろくにSNSをやってないのだが。

私はステイホーム中にストレスなく子どもと一緒にやれるゲームとして押し入れからwiiUを引っぱり出し、『みんなのリズム天国』を始めた。すごくよかった。『リズム天国』シリーズは「ゴールド」が最高傑作だと思っていたが、「みんな」もすごくいいな。つんくさん天才だわ!

最新作「ザ・ベスト」ももちろん大好きなのだけれど、ストーリーがどうしても悲しくて、つらくなってしまう。ゲームの中で天国に行くことを求め、それが叶えられそうになった直後にまた俗世に落っこちてしまうチビリくんがつんく♂さんに見えてしまう。そして、本当にそのまま天国に行ってしまった任天堂の岩田聡社長のことを思わないではいられない。※考えてはいけないと思うのに、考えてしまう。リズムゲームに集中できない。あとハロメン(ナイスガールプロジェクトもハロメンとしてカウントしています)や未成年少女の曲が少ないのが悲しい。

※『リズム天国 ザ・ベスト』が発売されたとき、リズム天国の企画者であるつんくさんと、それを支えていた任天堂の岩田社長は、どちらもガンの闘病中であった。2人の対談も残っている。
社長が書面で訊く『リズム天国 ザ・ベスト+』

その後、岩田さんは胆管腫瘍で55歳の若さで逝去。つんくさんは声帯切除の手術後も制作をつづけ、リズム天国続編の意見収集をTwitter上でおこなっている。

というわけで、2020年ねじ子が最も多く聴いたハロプロの曲は『僕らの世代!/ナイスガールトレイニー』である。スタッフクレジットもリズムゲームになっているのは『リズム天国』シリーズの恒例サービス。

しかもゲームクリア後のゲームセレクト画面のBGMがずーっと『僕らの世代!(Instrumental)』なのである。パーフェクトを目指して頑張っていると数百回は聴くことになるのである。いやぁ、2020年は小片リサさんの年でしたね!他のハロヲタのみなさんも、きっとそうだったでしょう!

5位 アーバンけけ / とたけけ(あつまれどうぶつの森)

音源バージョン↓

ライブバージョン↓

ゲーム『あつまれどうぶつの森』には、すべての欲望を満たしてもらった。ステイホームの時期とゲームの発売日がぴったりと合ったことによる奇跡である。

旅行をしたい欲、海で泳ぎたい欲、南の島でのんびりしたい欲、釣りがしたい欲。天気のいい屋外で走り回って自然を感じたい欲望、ひなたぼっこしたい欲望、とつぜん降りだした雨にぬれたい欲望。友人が住む知らない土地を訪れてみたい、友人の家に集まって食事をしたい、誕生日を祝いたい、みんなでBBQがしたい。ウィンドーショッピングしたい、いろんな服を着てお出かけしたい、色ちがいのたくさんの家具を並べて吟味したい、つまりあらゆる物欲。そして、音楽ライブに行きたいという衝動。

2020年2月まで当たり前にあって、今では失われてしまった喜びを『あつ森』はすべて満たしてくれた。『あつ森』をプレイすると、あのときの閉塞した空気とガラガラの通勤電車、部屋にみちる次亜塩素酸のにおい(アルコールが手に入らなかったため、我が家ではドアノブとフェイスシールドを次亜塩素酸で消毒していました)を思い出す。それほどに『あつ森』というゲームは私のステイホーム生活を支えてくれた。

『あつ森』は動作中のサウンド・エフェクトもよかった。レンガの道をヒールで踏みしめる音、新雪をつぶす音、砂浜を踏みしめて足の指の間から砂がもれる音、芝生を駆けるスニーカーの音。そのすべてが、ステイホームでは決してえることのできない体感であった。これら「自然の与えてくれる五感」は、人が生きていくために必要な刺激であった。人が健全に生きていくために、周囲の環境からえられる五感は不可欠であると私は思い知った。拘禁状態ともいえるステイホームの状況下、『あつ森』というゲームの中で私はその音を何度も聴き、体にしみこませた。それらは私の脳を活性化させた。

というわけで私が今年最も愛聴したミュージシャンは「とたけけ」なのである。土曜の夜にアコースティック・ギターをもって私の島にふいと現れる、白いはだかの犬だ。彼はどんなジャンルの歌も歌う。アレンジの幅も広い。どんな悪天候の中でも屋外でライブしつづける心意気もいい。ライブとCDで音源がまったくちがうのもいい。ライブのときだけ「アオーン」っていうフェイクが入るのも最高だ。犬の遠吠え、とか言ってはいけない。あれはフェイクだ。そうだよ、こういうアドリブやフェイクや合いの手を聴くために、私はハロプロのライブに行っていたんだよ!COVID-19がはやる前は!

今の私にはもう本物のアイドルのライブに行くことができない。だから、右手に黄色く光る棒をもって友人の島に行き、アバターの仲間たちとバーチャルなライブを楽しむことができる、それだけでも嬉しかった。

アイドル好きとして『けけアイドル』は外せない。ウーハーの効いた値段の高いコンポを(ゲーム内で)買って、(ゲーム内の)自室のBGMとして『アーバンけけ』を流しながら(ゲーム内のアバターが)眠るのもたまらない。

後編に続く。(2021/11/30)