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医師兼漫画家 森皆ねじ子

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正式名称:「『劇場版 騎士竜戦隊リュウソウジャーVSルパンレンジャーVSパトレンジャー/魔進戦隊キラメイジャー エピソードZERO』スーパー戦隊MOVIEパーティー」見たよ

 

2月8日公開の映画「『劇場版 騎士竜戦隊リュウソウジャーVSルパンレンジャーVSパトレンジャー/魔進戦隊キラメイジャー エピソードZERO』スーパー戦隊MOVIEパーティー」略してリュパパトを見た。公開初日に朝一番で、大泉T-JOYのルパンレンジャーによるグリーティングイベント付き上映回に行った。これがルパンイエローに会える最後のチャンスだと思ったからだ。会場はほぼ満席であった。

主役のWレッドたちは今後もヒーローショーや住宅展示場で行われるイベントに出てきてくれるであろう。でも脇役たちは違う。おそらくこれがルパンイエローと握手できる最後のチャンスである。そう思った私は子供たちを連れてはるばる大泉まで行った。アルコールで手を消毒してからヒーローのガワと握手するのはなんとも奇妙な体験であった。ルパンイエローのスーツの手部分がアルコールでボロボロにならないか心配だ。スーツの中の人の皮膚に直接触れることはないので、これは観客同志の感染を防ぐためだけに行われている処置だよな。私達のために気を配ってくれてありがとう。

リュパパトの映画は非常に面白かった。まさにルパパトの新作を私は見た。懐かしい彼らがそこにいた。月夜市がそこにあった。気のきいた簡潔なセリフ、リアリティ・ラインのはっきりした淀みなく流れる物語、それぞれに個性的な格好よさと可愛さを放つキャスト、アングルがくるくる変わる派手なアクション、致死量を超えたギャグ。この五段攻撃、まさにルパパト。大爆笑しながら「いやー今日も最っ高のルパパトだった!全員かっこいいし全員かわいい!最高!」と大満足した30分後に、実は鉛のように重いメインテーマを知らぬ間に飲み込まされていることに気付く。この感覚、まさにルパパト。私は今まさにルパパトの新作を味わっている!思い返せば香村さんはアキバレンジャーの頃からそうだったし、新しいプリキュアも2話目にしてすでにそうなので、これが香村さんの作る料理の味であり「消化管通過性」なんだろうな……。

私にとっての「鉛」は「快盗たちが大切な人と距離をおいている」現状がさらっと語られたことなんですけどね。隣に自分がいなくてもいいから、幸せに生きていってほしいってことなのか……。はあ……そうか……。透真……。初美花……。てことは魁利くんとお兄さんもか……。「戦隊シリーズで最もエゴイスティックな三人の快盗」とまでプロデューサーに言わしめたルパンレンジャーを、あのリアリティ・ラインの社会がどう断罪し、どう救済していくのか。または断罪や救済をせずに進んでいくのか。その答えはTV最終回でいったん保留にされ、今後のルパパトという作品の大きなテーマになっている。
※さらっと「今後のルパパト」とか書いてるけどそんなものがある保証はどこにもありません※

ルパンレンジャーの戦闘はあくまでも私事である。多くの一般的なヒーローの場合、自分の利益のためだけに悪を倒していた主人公たちが、しだいに誰かを守るために戦うことを覚え、最後には自分と関係のない赤の他人を守るために戦えるようになる。主人公は「真のヒーロー」に成長して物語は大団円となる。しかしルパンレンジャーは、その役割を最初からパトレンジャーに奪われている。その方向に向かって成長する道が閉ざされているのだ。これはルパパトというドラマが最初から持っている宿命である。TV本編におけるルパンレンジャーの戦いは、おそらく明確な意思を持って「私闘のまま」で終わらされた。何の関係もない他人や人類や地球のために戦う=公的な暴力は、パトレンジャーが戦うための強い動機として描かれ続けている。私人であるルパンレンジャーが「戦う必要がない」世界にするのがルパンレンジャー(とくに圭一郎)の信念なのだ。でもねぇ。この世に生きる全員が警察になれるわけではないのよ。圭ちゃんみたいに、警察がいつでも正しく市民の味方をしてくれるかと言えば、決してそうでもないのよ。警察が権力者におもねり無抵抗の市民に銃を向けてきた歴史だって、たくさんあるのよ。

私は、個人が「絶対的な悪」による理不尽に巻きこまれたときに、自らも武器を持って暴力で対抗する「覚悟」は絶対に必要であると思っている。これは『ねじまき鳥クロニクル』でも扱われているテーマだ。「邪悪で純粋な悪や暴力」はこの世に確実に存在している。ゼロにはならない。それらが自分や自分の大切な人に牙を向けてきたときは、自らの暴力性を開放してでも食い止めなければならない。世界は無菌ではないのだから、生きていくためにその覚悟は必要である。そうでなければ悪人たちに骨の髄までしゃぶられてしまう。そう私は思っている。だって、実際にベビーカーに野次を飛ばす見知らぬ人や(こちらを弱いと見てる)、何も考えず痴漢してくる人、子供を無差別に攻撃してくる人というのは存在するのだ。子供の生命や尊厳を守るためならば、私はそいつらを返り討ちにして殺す覚悟がある。その覚悟がなければ子供を守れないし、端的に言えば子供を育てることすらできない。私の子供たちにも「大切な人のためならば命をかけて戦える人間になりなさい。そういう瞬間は人生の中で1,2回あります」と教えている。その覚悟がなければ自分を守ることも、大切な何かを守ることもできない。だから私は、快盗への必要以上の断罪描写に共感できない。私は自分の息子に「恋人が化け物に襲われたならば、すべてを投げうって恋人を取り戻しに行ける人間」になってほしいのだ。透真くんには幸せになってもらわねば困る。

世界は完璧ではなく、すべての人間が警察になって公的に認められた暴力を行使することはできない。「この物語の世界観の中では快盗の手段はエゴイスティックな私闘であり、断罪されなければいけない」というのならば、それもよかろう。フィクションだから。でもその断罪には必ず救済の描写がセットで必要になる。

まずTV最終回において、大切な人たちが自分も快盗になることによる「救済」があった。家族からの救済だ。今回の映画でパトレンジャー(親しい友人かつライバル)による三者三様のゆるやかな「救済」が見られた。魁利くんや透真を見逃し、彼らの生活を気にかけ、コーヒーを飲みながら穏やかに語り合い、躊躇せず共闘する姿勢がそれである。それに対する快盗の答えも描かれている。今回の映画の中で、ルパンレンジャーは警察の装備を狙う素振りをまったく見せない。それどころか変身する時間を極力少なくして、なるべく戦闘しないようにしている。これはルパンレンジャーなりの、パトレンジャーの信念に寄り添った行動と思いやりだと思う。物語は少しずつ進んでいるのだろう。実際は相変わらず物の少ない廃墟みたいな事務所に一人たたずむ魁利くんを見て私は笑ってしまったけど。大丈夫か、彼。そこ寒くないか?まぁ結局は「死者再生」という大きなタブーに挑むノエルとルパンコレクションがどうなるのか?という議題がいまだ残っていて、その結論が出ないとルパンレンジャーの断罪も救済も完了しないんだけどね!今後の展開次第だな!
※さらっと「今後の展開」とか書いてるけどそんなものがある保証はどこにもありません※

 

さて、ここからは私事である。放送終了当時に3歳だった次男は、4歳になった。彼は映画を見終わって自宅に帰ると一目散にルパパトの玩具が入っているおもちゃ箱に向かった。そして「とりがー!とりがー出して!」と言い出した。彼がルパパトのロボット玩具で遊びたがるのは本当に久しぶりである。放送が終わった番組のおもちゃは、どうしても出番が少なくなるのだ。私は彼のためにルパパトのロボ玩具をざっと床に広げ、しばし様子を眺めていた。

次男は当時、ひとりでルパパトのロボットを組み立てることができなかった。手の大きさも足らず、握力も足らず、ロボのジョイントをつけ外しすることができなかったのだ。彼はいつも必死で兄にロボの組み立てを頼んでいた。1年経った彼は成長し、自分で好きなようにロボを組み立て、ばらすことができるようになっていた。すごい!成長している!母は子の成長を感じ心の中で感涙を流していた。しばらくすると彼は自力で、一人でロボを組み上げた。4歳男児が人生で最初に自分一人で組み立てたロボがこれである。

「けいさつのろぼ!」

私は驚愕した。サイレンパトカイザースプラッシュ。テコ入れのせいで映像ではいまだに出ていない、でも、もしこの映画に巨大戦があったならばようやく見られたかもしれない幻の形態、サイレンパトカイザースプラッシュ。適齢期男児が初めて自分の手で作ったマシンが、サイレンパトカイザースプラッシュ。ああああああ!!この瞬間に、私の中のルパパト玩具戦争は個人的終戦を迎えた。

「警察のおもちゃをすべて快盗にまわす」という物語を完全無視した支離滅裂なテコ入れに、くやし涙を流した現場関係者は多かっただろう。きっとみんな悔しかったはずだ。でも、安心してほしい。4歳児にはきちんと伝わっている。きちんと当事者に物語は伝わっているよ。彼らは物語をきちんと理解している。当時テコ入れを決めた上層部の人間たちよりも、子供たちのほうがずっとずっと物語の真髄をよく理解している。あんな決定をした大人たちは、消費者である子供を完全になめきっていたのだろう。そうでなければあんな支離滅裂で脈絡を無視したテコ入れを「是」とするはずがない。子供を馬鹿にしてはいけない。

これは物語をあきらめなかった制作者たちの勝利である。香村さんの粘り勝ちだ。決してめげなかった、心が折れなかった、関係者の皆さんの努力のたまものである。ルパンレッドの姿で「圭ちゃん」と呼びながらスプラッシュを手渡す魁利くんが見られたこと、腕に消化器がついたパトレン1号の姿を見られたこと、サイレンパトカイザースプラッシュを(映像で見てないにも関わらず)4歳児が組み立てたことによって、私の中のルサンチマンはきれいに浄化した。待望のスーパールパンイエローとスーパーパトレン2号も見られたしね。当時不自然に消されていた「超!警察チェンジ!」の音声も大画面でしっかり聴けたし。感無量だよ!

この映画に巨大戦がなかったことに文句を言っている大きなお友達の皆さんは、今すぐサイレンパトカイザースプラッシュを作りましょう。投げ売りされてるトリガーマシンを今すぐ買ってサイレンパトカイザースプラッシュを作りましょう。そしてロボ戦しましょう。Amazonで今ならDXサイレンストライカー980円、DXトリガーマシンスプラッシュ1849円、DXグッドストライカー1613円、あと一台は値下げしまくっているお好きなビークルを一つクリックして、完成!サイレンパトカイザースプラッシュ!ブーンドドドドドドドド!バンダイも儲かるし小売の在庫もはけるし君の欲求不満も解消できるし、一石三鳥だよ!

(三谷幸喜のありふれた生活:980)映画、楽しかったあああ

三谷幸喜さんの息子さんの第一声は「楽しかったあああ」だったそうだ。4歳次男は「また見たいねー!」だった。「もう一回来ようね―!」と言う彼の笑顔は輝いていた。短い時間で様々なヒーローが出てくる構成は非常にYoutubeっぽく、今どきの子供向けだと思う。盛りだくさんの「楽しい」の波状攻撃。子供は気に入った映像を何度も繰り返し見る。だからYoutubeの再生回数ランキングは子供向けばかりになる傾向がある。この映画の後半はまさにそれ。様々な人気コンテンツが融合したキラやばな波状攻撃は非常に楽しく、Youtubeっぽかった。適齢期の子供は長い映画の後半に集中力がきれてダレてしまうから、この構成はとてもいいと思う。こりゃ子供は何度だって見たいだろうな。リロードマーク連打しまくりだな。ちなみに映画は結局計3回見た。はやく円盤がほしい。

そして、残念なことにあれだけ盛りだくさんの内容で完成度の高い作品を見せられたにも関わらず、映画が終わったあとの私の頭はいつも「キラメイピンク最高に可愛い。やばいどうしよう。超好み超好み超好み。めっちゃタイプだ!!!」で占められてしまう。私は本当にどうしようもない。

だってさ、確かにああいうタイプの女医さんっているんだよ。「お上品爆弾」を炸裂させて周囲から浮上するタイプの有能な女の医者。46歳くらいで黒髪で品のいい服とブランドの白衣を着て、非常に可愛らしい外見と仕草で、マイナー科の准教授や医局長や科長をやってたりする。そう46歳くらい。46歳くらい……。約半分の年齢(設定23歳)にしてあの境地に達しているとは、キラメイピンクはよほど強いキラメンタルの持ち主に違いない。今から1年間が楽しみである。(2020/2/26)

絵というものは、作者が世界をどう見ているかの表出である

インフルエンザ療養中で暇を持て余していた長男のために、塗り絵を作ることにした。すでに解熱して体力は有り余っているものの、他人への感染力があるため外で遊ぶことができない状態の子供を退屈させないために、塗り絵はとても有益である。私も好きなファン・フィクションを描けてよい気分転換になる。一石二鳥だ。ちなみに台風で2日間家から出られない間も、この塗り絵は非常に役に立った。なんと言っても電源を使用しない。停電しても大丈夫。ていねいに塗っていると、そこそこ長い時間をつぶせる。親子の遊びとして最適だ。

「変身後も描いてほしい」と言われたので「るぱぱとぬりえ その2」も作った。金と銀の色鉛筆があると、より楽しい。

私は人体のデフォルメをするとき、四肢の末端を肥大させる癖がある。これは完全に手塚治虫先生の影響である。吾妻ひでお先生や内山亜紀先生も私と同じタイプであった。私の動物イラストの原点がテディベアやパンダのぬいぐるみにあることも一因なのだろう。とにかく手足を大きく描いてしまう。

ちなみに、現在における人体デフォルメイラストの流行は「手足の先端を細く小さくする」ことである。私も仕事であれば手足の先を細く小さく描くこともある。でも、自分が「可愛い!」と思うように描くとつい手足の先が太くなってしまうのだ。

「絵を描く」という行為には肉体的な喜びがある。特に、好きなものの絵を描いているときに感じる喜びは大きい。好きな対象の絵を描きあげたあと、全身が喜びで満たされるのがわかる。この前腕の筋肉に、この手掌と指に集まったたくさんの小さな伸筋群と屈筋群に、それらにつながる末梢神経と前頭葉に喜びが走る。ただじっと対象を見ることよりも、語ることよりも、関連グッズを消費するよりも、よりよく対象を理解し対象と溶け合うような感覚に満たされる。これは他では得がたい肉体的な喜びの体験である。プールでたっぷり泳いだ後に肌と筋肉が感じる、水と溶け合うような感覚。または緑の森の中を歩いた後に感じる心地よさと爽快感。それらに近いものを感じる。絵を描くことで私は対象を十全に咀嚼し、理解することができる。「絵を描く」ということは愛する対象を「理解する」ことであり、私がどのように世界を理解したかを「表に出す」行為でもある。描画以外では得られない高揚感を私はいま感じている、ルパンレンジャーとパトレンジャーの絵を描きながら。(正確には、医学の絵を描いているときにも私は同じ快感を感じている。絵を描きながら私は、このちっぽけな私は、人類の四千年の歴史とともに続く医学という学問の海に溶けて融合していくのだ。)

例えば私は初美花ちゃんのイヤリングやつかささんの前髪サイドの編み込みの構造に大きく注意が向く。資料をじっくり観察し、丁寧に書こうと心がける。それに対して、VSチェンジャーはもうできるだけ描きたくない。描写も適当になる。なんなら「しまった、どうしてVSチェンジャーを持つ構図にしてしまったんだろう。VSチェンジャーを描くのが面倒くさい!違うポーズにするべきだった!」とさえ思う。

ところが小学生の息子は、私が適当に描いたVSチェンジャーの構造のミスにすぐに気がつくのである。彼は塗り絵をしながら「VSチェンジャーが左右対称じゃない、おかしい」「オレンジ色を塗る部分がない、おかしい」「圭一郎の手の関節がおかしい。肘をひねってる。これじゃチェンジャー持てないよ?」という感想を持つのである(その通りであった)。VSチェンジャーに関しては、わざわざ本物のおもちゃを手元にもってきて赤いパトランプやオレンジのラインや黒い縁取りをわざわざ追加で描いていた。私はうろ覚えで適当に描いて満足していたのに!

それに対して、私が注力して描いた女子の髪型に関してはなんの興味もない。子「つかさ先輩の髪の毛の横、これなに?」母「編み込みだよ」子「なにそれ?そんなのあったっけ?」母「あったよ!ほら!(実際の写真を見せる)」子「あー、いらないよ。これ」という反応である。「いらなくねえよ!むしろ一番重要だよ!」という私の叫びも、彼には響かない。彼は人体の関節の構造とメカの細かい意匠にしか関心がないのだ。「絵を描く」という行為には「興味の違い」が如実に出ることがよくわかる一例である。興味の違い、つまり「世界を見つめる角度の違い」が露骨に出る。私が全力で注視した①まず顔を似せること、②髪型を似せること、③快盗衣装と警察衣装の細かい意匠を四頭身に可愛く落とし込むことに、彼はまったく関心がない。でもVSチェンジャーにオレンジ色のランプが描かれてないことは耐えられない。絵を描くということは対象をより知るということであり、対象に向いている興味が露骨に表に出てしまうことであり、その人が世界をどのように見ているかを(自らの意図よりもずっと赤裸々に)うつし出す行為である。絵を見れば、その人が世界をどう見ているかがわかる。

ちなみにその後、帰宅した次男は変身後のノエルがいないことに耐えられないらしく「エックスは!?エックスいるでしょ。かいて」としつこく食い下がられた。「あ、いや、活動初期ってことでどうですか?ノエルが来日する前の絵ってことで、よくない?だめ?」という私の意見は彼にまったく受け入れられなかった。しかもルパンエックスとパトレンエックスの両方を追加で描かされた。まったく、たとえ塗り絵であっても絵を描くということはその人が世界をどう見ているかを表出させる行為である。画家には世界が彼ら/彼女らの描く絵のように見えているのだ。(2019/10/20)

るぱぱとぬりえ
るぱぱとぬりえ その2
(ご自由にお塗りください)

Once Upon A Time in AKIHABARA<各論>


POARO / Once Upon A Time in AKIHABARA
2002年当時の秋葉原。

秋葉原もずいぶん変わった。この曲がリリースされた当時の私も「秋葉原はずいぶん変わったなぁ!」と思っていたが(URL)そのときからもずいぶん変わった。

この曲が出たのは、電気工学とパーツの街だった秋葉原にアニメキャラの看板が乱舞するようになり始めた時期である。自らがオタクでありながらも、私は街の変貌に困惑した。

「電車男」というテレビドラマが大ヒットし、秋葉原は「オタクの街」として一躍有名になった。美少女アニメキャラの看板が舞い踊り、メイドと地下アイドルが大量に集まって一大ムーブメントを作り、外国人観光客が押し寄せ、静岡から来た男が歩行者天国で通り魔事件を起こした。いまやそんな時代すらも過去になった。今の秋葉原にはもう、バスケットボールコートも石丸電気も紙風船もメッセサンオーもアソビットシティもアキハバラデパートも交通博物館もボウルズボールBBもない。再開発が進み、大型ビルがにょきにょきと生え、ラーメンとケバブとおでん缶しかなかった(だから「一食くらい食わなくても死なない」というPOAROのリリックが心に響いた)食事場所は格段に増えた。秋葉原にすらタピオカ屋が生えていて笑っちゃった。様々な国の観光客がポケモンやドラゴンボールや美少女フィギュアを買い漁りに来る、日本を代表する巨大エンターテイメント街になったのだ。

もちろんそんな周囲の喧噪は意に介さず、電気街としての秋葉原は存在し続けている。秋月電子と千石電子と謎のジャンク屋は相変わらず健在だ。ガード下のパーツ屋のたたずまいも変わらない。闇市だった戦後当時から存在するアダルトショップは、中国語で呼び込みの放送を流す観光客向けテンガショップに生まれ変わっていた。たくましすぎる。これらの店が存在している限り、秋葉原はきっと変わらない。

●ハロヲタ兼特撮おもちゃ好きのための秋葉原巡回ルート2019年版

秋葉原駅に到着→ラジオ会館を下から上へざっと流す(特撮関連商品があるのはハピコロ玩具、あみあみ、宇宙船、アキバのエックス、イエローサブマリンなど) → ジャングル2号館 → 千石電子 → 秋月電子 → カルチャーズZONE1階のらしんばん秋葉原店新館(特撮DX玩具とフィギュア) → 同じビル3階のTRIOカルチャーズZONE店でハロプロの中古商品を探す → まんだらけコンプレックスを上の階から下の階までざっと流す(7階に特撮DX玩具)→ 駿河屋秋葉原本店3階(おすすめ。特撮玩具がワンフロアにあり便利※1)→トレーダー本店で仮面ライダーの玩具とDVDチェック(扱いは少ないが相場より安い)→ 駿河屋アニメ・ホビー館3F(おすすめ。特撮玩具山盛り※2)→リバティ8号館(おすすめ。特撮玩具山盛り※3) → ハロー!プロジェクトオフィシャルショップ → 買いたいものがある場合は秋葉原駅方面へ戻る、特に戻る必要がないときは末広町駅から帰る。

※1※2 同じ駿河屋でも店舗によって値段が違うので注意。
※3 DX玩具は3階、ガチャガチャと食玩は7階にある。フロアが分かれているのが難点。相場より値段が高い。そのせいもあって古い作品の在庫が潤沢に残っている。商品の種類の多さは抜群で、「放送当時はこんなものを売ってたのか!」という古典作品玩具との様々な出会いがある。一回しか来店できない観光客が多い秋葉原という立地に合っていると思う。ゴーオンジャーのガチャガチャの炎神があんなに揃っている実店舗は初めて見たし、シンケンジャーやジュウオウジャーのスィングが今でも手に入るのなんて秋葉原でもここくらいだろう。

今日一番の収穫は、TRIOカルチャーズZONE店のハロプロのショーウィンドウにハロメンのフィギュアスタンドキーホルダーが全50体くらい並べられているど真ん中に、新木優子さんのサイン入り卓上カレンダーが鎮座されていたことです。可愛い女子に囲まれた新木優子さんは、満面の笑顔でとてもとても幸せそうに見えました。ディスプレイした人は、ハロプロのことも周辺文化のことも、完全にわかってるな。

放送当時品切れで手に入らなかったビルド&ルパパト夏映画のパンフレットと勇動パトレン1号とノエルのミニプラセットも手に入りました。やった。次の休みは勇動スーパーパトレン1号とミニプラVSXを自作しよう、そうしよう。(2019/9/6)