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医師兼漫画家 森皆ねじ子

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従業員のメンタルヘルスとパワー・ハラスメント

SMAPの会見は、企業による公開パワー・ハラスメントであった。従業員のメンタルヘルスをいったいなんだと思っているのだろうか。「業界の慣習」などをしたり顔で語る人々もいるが、そんなものに聞く耳はない。労働者が自殺するブラック企業の管理者は、みんな決まってそう言うのだ。医者である私にとっては、患者さんのメンタルを健全に保つことだけが重要である。そして、彼らは明らかに人間として最低限の尊厳を踏みにじられ、健全な精神衛生を保てないほどの高ストレス下に追いやられている。誰かが自殺してからでは遅いのだ。この騒動に巻き込まれた従業員の皆さん(もちろんメンバー含む)のメンタルヘルスが非常に心配である。彼らの周りの人はきちんと精神的フォローをしてあげてほしい。自殺をほのめかすなどの危険な兆候が見られたら、決して一人にはせず、病院にも躊躇せずに頼ってほしい。これが私の患者さんの身の上のことならば、企業に環境改善を進言した上で、会社側に変化がみられない場合は各自治体の労働基準監督省に直訴or弁護士に相談するよう促すところなのだが。そんな健全性が保たれているようには思えないから、やっかいである。

彼らは日本で一番有名な会社員である。国民の誰もがその名前と業績を知っている、最高レベルの従業員だ。そんな彼らに対して、所属企業によりこれほどの横暴が行われることが「よし」とされて、まかり通ってしまうのならば、それはもう社会システムにとっての危機である。社会不安を招くし、厚生労働省が目指す「うつ病発症率と自殺率の低下」という政策にも完全に逆行している。こんな社会的懲罰がOKとされるなら、我が国のうつ病発症率と自殺者数はますます上がるばかりであろう。

派閥争いはどんな企業にもある。日本最大の組織である霞ヶ関の官僚なんて、派閥がスーツ着て歩いているようなもんだし、大学病院も派閥が白衣着て歩いているようなもんだ。SMAPの面々は、自分たちはまったく悪くないのに、派閥争いに巻き込まれ、公開処刑のように謝罪の体を取らされ、全国放送でさらし者にされた。気の毒すぎる。これが巨大組織の中で派閥争いの渦中に意図せず巻き込まれてしまった従業員の赤裸々な姿であり、哀れな末路なのだ。まさに木っ端みじんである。SMAPの姿は、日本中の多くの苦しむ40代労働者の姿そのものであった。がむしゃらに30年間勤務し、企業に莫大な利益をもたらした従業員に対する答えが、これなのか。絶望しか感じない。

SMAPの面々の選択は五者五様だが、誰も悪くないし、誰も間違っていないように思う。それなのに、どの道を進んでも地獄であることにかわりはない。組織と家庭を選んだキムタクも地獄、古い恩人を選んだ他の4人も地獄。彼らはまさに会社の歯車として心を引き裂かれ、苦しむ日本中の40代会社員の象徴のように思える。消費者の多くは、彼らに同情し、共感する。そして、老人と同族が支配するブラック企業を自らの勤務先に重ね、巨悪として憎むのだ。だって視聴者の多くは下っ端のサラリーマンだから。虐げられている方に共感するのは当たり前である。日本の産業構造の縮図としてとらえているからこそ、誰もがSMAPについて語り、TwitterやBPOのサイトが落ちるほどの大騒動になっているのだ。SMAPの解散騒動は、たった3分間の会見によって、単なる芸能ゴシップから社会構造的な問題に発展したと言える。

さて、ここからは与太話である。アイドルというものは、同年代の同性にとって憧れと共感の対象になったとき、はじめて真の偶像となる。正直、近年のSMAPは、若い頃のかっこいい面影を引っぱりすぎて年齢相応の変化ができていないように感じていた。でも今回の騒動で、彼らはまさにおっさん世代のサラリーマンの同情と共感を得られる象徴的存在になった。明るいポップ・スターではなく、源義経や真田幸村や土方歳三のような「悲劇の判官」として、だけれど。こんな境地にいたった男性アイドルは他に類を見ない。否が応でも、SMAPは国民的アイドルとして宿命づけられているのかもしれない。長い目で見れば、この悲劇をチャンスに変えることも可能であると思う。なあに、彼らには時間がたっぷりあるのだ。今はいったん敗北したように見えても、命まで取られるわけではあるまい。……いや、命だけは大切に。虎視眈々と生き延びてほしい。芸事とファンに対して誠実でありつづけていれば、生き残る道は必ずある。もし本当にどうにもならなくなったら、コミケの3日目に来ればいいさ。おいでよ。コミケは自由だよ。芸術も、愛も、自由も、エンターテイメントも、あの会見には何一つなかったけれど、コミケには何でもあるんだ。アイディアしだいで、何をしたっていいんだよ。それが真のエンターテイメントってもんじゃないかね。(2016/1/20)