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医師兼漫画家 森皆ねじ子

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ディビッド・ボウイの訃報から手塚治虫を思う

ディビッド・ボウイが死んでから、彼の曲ばかり聴いている。私が一番好きなボウイの曲は「Thursdays Child」だ。木曜日の子どもたち。マザー・グースにおける”Thursday’s Child has far to
go”(木曜日生まれの子どもたちの道は遠く)から来ている。

もちろん若いころの「ジギー・スターダスト」の世界観も大好きだし、

 

アメリカ・ビルボードのヒットチャート業界に魂を売ったかのような80年代の「レッツ・ダンス」もアリだと思うし、

左右で瞳孔の大きさが違う瞳も、映画「戦場のメリークリスマス」や「ラビリンス/魔王の迷宮」でみせた少女漫画の王子様然とした風貌も最高だ。

 

だけど何より、「Thursdays Child」のMVで見せた、歳を重ねていく彼の姿が好きだった。

生きながらえること。挑戦し続けること。変化すること。そして老いていくこと。ディビッド・ボウイはきちんと年代ごとに自らを音楽アルバムとしてパッケージし、我々の前にさらしてくれた。そんなロックン・ローラーは他にいない。薬に溺れて廃人になるでもなく、やんちゃだった過去を否定するでもなく、引退でもなく、必要以上の寛容でもなく、若い頃と同じテンションで「サティスファクション」を歌うことでもなく(あ、ローリング・ストーンズももちろん好きですよ)。ロックン・ローラーも、新しい作品を創作し続けながらかっこよく老いていけることをボウイは証明していた。

事故的に夭逝して伝説になる芸術家は多い。薬や酒で廃人になる芸術家も多い。でも、医者としてはどちらも迷惑なんだよね。共感できない。ボウイはギリギリのところでいつも正気にとどまって、商業主義の世界で踏ん張り、必要であれば過去作のファンに何を言われようとも作風を変え、三年に一枚は必ずアルバムを作り続けてきた。90年代のボウイなんてもう批評家から完全に見捨てられて、「Lowで死んでたら伝説になれたのに」とか「音楽的な転向が多すぎる。本当のお前はどこにいるんだ」とか「裏切り者!あいつはアーティストじゃない!」とか「頼むから引退してくれ」とか失礼なことを言われ続けていたにもかかららず、どこ吹く風で(有名無名問わず)好きな音楽家に声をかけ、アルバムを作っていた。その姿はいろんなジャンルの芸術家に勇気とインスピレーションを与えていたと思う。売れた後も絶えず創作の第一線に身をおくのって、実はけっこうむずかしいんだよ。

そして彼はついに、自分の死さえも完璧な芸術作品としてパッケージングした。David Bowieの最後のシングル”★(Blackstar)”のMVを12月に視聴した際、「十字架に包帯に病室のベットか。次のボウイ様はオカルト趣味ね!若いころの持ちネタだった『なんちゃってスペースオペラ』を思い出すわぁ!おじいちゃんになっても中二病センスがご健在なんて、さすが!」などとのんきに思っていた自分を殴りたい。これって、死にゆく自分を表現したMVだったのか。アルバムタイトルの★(Blackstar)って、自分が黒い星になるってことだったのか。信じられない。ここまで、自分の死と、自分の死に際してわき上がる情念について完璧な作品を作り上げていった芸術家を私は知らない。

ガンという病気は、十分な気力と体力が残っている時期にある程度正確な「自分の死亡推定時期」が予想できる、唯一の病気である。こんな病気は他にない。「死因」となる多くの病気や事故は、ある日突然目の前に現れて、あっという間に我々の意識を奪い去っていく。神様はボウイに、死と向き合えるだけの十分な時間とチャンスを与えたのだ。彼は残された18ヶ月の間に、自分の死と向き合った完璧な芸術作品を作り上げてから去っていった。

ガンという病気は、つらくてきつい病気だけど、こういういいところもある。「どうせ死ぬならガンがいい。自分の死期がわかって、死ぬ前に人生の整理整頓ができるからね」とのたまう年配の医者は多い。若かった私は「はぁ?そんなのイヤだ!私は短時間で苦しまずポックリ逝きたいです!」と思っていけれど、ボウイ様の作品を見た今なら、その意見もわかる気がする。ボウイ様ってば、すべてをやりきってから死にやがったよ!キー!とても追いつける気がしない!

……ここまで書いて、私は手塚治虫信者だから、どうしても手塚先生と彼のライフワークである「火の鳥」について考えてしまう。手塚先生はずっと「火の鳥」は現代編を描くことで終わる、「自分の体から魂が離れる時」に終わると明言していた。病床で一コマでも描けば、火の鳥・現代編は完成すると。「僕は描いて見せますよ」「一コマでもいいんですよね。それが一つの話になっていればいいのですから」と語っていた。「火の鳥」は過去と未来を反復横飛びのように行き来して、様々な時代を描くことで日本の歴史を表現する物語である。ずいぶん前の過去も、ずいぶん先の未来もすでに描ききっているので、最後に描かれるべきは現代つまり「今」であり、主人公の猿田そのものである手塚治虫の人生だったはずだ。

手塚先生はスキルス胃癌だった。当時の日本の風習で、病名は本人に告知されなかった。手塚先生は医者だったのに、それでも、ガンの告知はありえないことだった。手塚先生は病床で朦朧としながらもずっと「頼むから仕事をさせてくれ」と言い、意識を失いながらも鉛筆を握ろうとしていたという。結果として、火の鳥・現代編は描かれず、火の鳥は未完の作品となった。

手塚先生は優秀な医者でもあったから、ガンを自覚していなかったとは考えにくい。ガンを告知しなかったことを責めるのもおかしい。先生の逝去は1989年で、ガン告知の割合は1991年の時点でもたった13%だった。たとえ告知されていたとしても、スキルス胃癌は進行が早いから、現代編を描く時間は残されていなかったかもしれない。すべては仮定の話だ。

でも、ボウイが自らの死を描いた完璧な作品を仕上げ、その発売2日後に宇宙に帰ったのを見ると、やはり「手塚先生の描く火の鳥・現代編を見たかった」と思わずにはいられないのだ。先生の頭の中にあったはずの、火の鳥の最後を見たかった。手塚先生ほど強靱な執筆執念をもった人間なら、告知さえすれば現代編を描くことは可能だったのではないだろうか……。そう思わずにはいられないのだ。猿田って手塚先生そのものだよね?火の鳥って、猿田の救済の物語だよね?彼の魂は地獄のような輪廻転生の渦から救済されたの?答えてよ、手塚先生!

厚生労働省によると、1991年にはたった13%だったガンの告知率が、2012年には73.5%まで上昇している。ねじ子の認識では告知率100%くらいの心持ちだったけど、現実はこんなもののようだ。それでも、「告知しないのが当たり前」だった時代から、たった25年で「告知するのが当たり前」にまで変わった。慣習を変えるのはむずかしい。時間がかかる。でも、決して不可能ではないんだよね。(2016/1/14)