ねじ子web

医師兼漫画家 森皆ねじ子

ねじ子のLINEスタンプが発売されています

遠くにいる友より

栗本薫さんがもうこの世にいないという事実は、一年以上たった今でも、私の心を波立たせる。私にとって、栗本薫さんは作家「栗本薫」ではなく、評論家「中島梓」だった。代表作『グインサーガ』は、図書館の本棚の三段は占めているその巻数に圧倒されて、手をつけるだけの覚悟がなく、裏の代表作『終わりのないラブソング』は、トラウマ描写や合意のない性描写が多すぎて、正直あまり得意ではない種類の「ヤオイ」(御本人の表記に敬意を表して、あえてのカタカナ)だったので、読めなかったのだ。

訃報を聞いてから『コミュニケーション不全症候群』を読み直した。この本のあとがきは「遠くにいる友へ」から始まる。当時の私は東京郊外に住むニキビ面のぱっとしない女子高生だったが、確かに私は「遠くにいる友」であり、「どこかにいるはずの<あなた>」だった。自分は何がしかのものであると勝手に思いこんでいて、でもオタクで少年漫画大好きなただの腐女子で、何者でもなくて、むしろ人間のクズで、そのくせ頭でっかちで、自分では一円も稼いだことないくせに全ての社会的事象を馬鹿にしていて、孤独で、臆病な自尊心を持て余していた。そんな私を、中島梓は「友」として見つけてくれたんだ!この人は、家族すらも理解してくれなかった私のどうしようもない欲望や自尊心を理解してくれている!この本には私のことが書いてある!!……と、本気で思った。学者のように書籍と分析の力を借りるでもなく、統計的手段を用いるでもなく、自分自身の(拒食症などの)経験と心情、そして作家としての「直感」のみで、確かに彼女は、ある一部の(それまでは決して存在しないと思われていた)思春期女子の自我を、ゆがんだ性欲を、美への入り組んだ執着を、男性に選ばれる性であることの恐怖を、誰よりも的確に表現した。当時迷える女子高生だった私にとって、どんな社会学者や心理学者や精神科医の書いた本よりも、それは正しかった。当時大流行の宮台某が行った無責任でスケベ目線丸出しな女子高生分析よりも、何倍も鋭い刃を持って、それは私の自意識を切り、何倍も広い掌で迷える女子の心を救った。今から思い返してみるに、それは直感と体験のみに依っていたゆえに、当事者に切迫した内容だったのだ。本人が当事者であったからこそ可能な、評論だったのだ。差別されている当事者以外が差別撤廃運動の首謀者にはなり得ないように、誰にも相談できない歪んだ思春期を過ごしたからこそ、同胞を評論することができたのだと思う。それはひょっとしたら評論と言うよりも、巫女かイタコの言葉に近かったのかもしれない。

学術的根拠によるものでなかったゆえに、その評論はその作者ご本人から、非常に乳離れが悪かった。その後、「弱き者」ではなく「偉い人」「御大」になってしまった中島梓の文章は、残念ながら、私を救うものではなくなってしまった。グインサーガは予定していた百巻で終わらず、『小説道場』でご本人の言っていた小説の禁じ手を自ら次々と破った文章を発表する姿は、悲しいけれども「老いた」と感じるのにも十分だった。しかし確かに、中島梓さんの評論は、ある種の思春期の女の子の生態を、誰よりも正確に描き、迷える心を救っていたのだ。いや、もっと単純に言おう。栗本さんは文化人で、すごい賞もたくさん取っている小説家で、結婚して子供もいて、誰からも(大人の社会からも男性の社会からも)認められていて、希有な才能があり、そしてそんな人が自分と同じく、拒食症の思春期を送ったり、ヤオイが好きだったり、自分が変態だって高らかに宣言してくれていること。それだけで十分、心の支えになったんだ。………今ほどオタクや腐女子の存在が認識されていなかった、遠い昔のお話。中島梓さん、あなたがいてくれてよかった。天国でも萌えと勢いにあふれた文章を書き散らしていて欲しい。心からご冥福をお祈り申し上げます。