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医師兼漫画家 森皆ねじ子

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また10年後に会おう

ハロー!プロジェクトには25歳定年説がある。どんなに人気があるメンバーでも、26歳を迎えることなくハロプロという組織から卒業させられてしまう。当時エルダークラブと呼ばれる古参メンバーが全員ハロプロから卒業した2009年3月31日より後は、ずっとそうである。一人の例外もない。高橋愛でさえ、道重さゆみでさえ、矢島舞美でさえ、嗣永桃子でさえ、和田彩花でさえ、26歳になる前に卒業した。具体的にどういう契約になっているのか私たちには知るよしもないし、明文化もされていないけれど、現実として一人の例外もなく26歳前に卒業しているのだから、25歳での定年は「ある」のだろう。「25歳定年説」を否定したいのならば誰か一人でも26歳以上のメンバーを残留させればいいだけである。証明は簡単だ。それをやらないのだから、25歳での定年は「ある」という仮説は今のところ「真」である。私は25歳定年制を支持しないし、否定もしない。ただ、もし25歳での定年が契約として盛り込まれているのならば、それをしっかり明言して世間の洗礼と評価をきちんと受けるべきだと思っている。「声変わりまたはギムナジウム卒業の14歳で退団する」と最初から明言されているウィーン少年合唱団のように。もちろん事務所の責任者の名前で公言するんだよ。他人に代弁させるんじゃないよ。児玉雨子という天才を捕まえて『25歳永遠説』などとというあきれるほど陳腐なタイトルの歌詞を注文するのはもう二度とやめてくれよ。

25歳定年説はハロプロのおたくたちにとって共通認識になっている。だから私たちは勝手にメンバーのことを「25歳まで応援できる」と思い込んでしまう。25歳になる前に辞めると「道半ばだ」だの「早すぎる」だの「もうあきらめるの」だの、見当違いな意見も出てきてしまう。「25歳で辞めるのはもったいない、もっといてほしい」と言われることも、「25歳まであとn年もあるのか!長いわ!」と言われることもある。もちろん、どれも私たちおたくの勝手な意見である。

工藤遙はモーニング娘。に残っていれば25歳まで、あと7年は安定した地位が保証されていた。武道館、またはそれ以上の大きい会場で年2回以上のライブができる。全国をホールツアーで回れる。充実した活動と安定した高給が保証されている。TVの歌番組にも出られる。工藤は人気メンバーだから、センターまたはそれに近い位置が将来的にも確約されている。娘。のリーダーにもハロプロのリーダーにもなれただろう。どれもこれも、なかなか得ることができないポジションである。他の人気グループに入ってもそれだけの地位に登り詰めることは難しい。それなのに、工藤はその約束された地位を惜しげもなく捨てた。他でもないスーパー戦隊のために。それは大いなる賭けであった。

工藤はデビュー当時からずっと戦隊ものが好きだと公言していた。それはもう、私が彼女を初めて認識したハロプロエッグの頃から。「いつか戦隊に出演したい」という夢が彼女にはずっとあったのだろう。わかる。わかるよ。私だって今でもプリキュアになりたいしポワトリンになりたいし戦隊ヒロインになりたいし仮面ライダーになりたいよ。

しかし、その夢は多くのハロヲタにとってまったく理解できない心情であった。当たり前だ、大多数の大人にとってスーパー戦隊シリーズは単なる子供番組の一つに過ぎない。それほど高い価値を感じない人だって多い。心の底では「くだらない、子供だましだ」と馬鹿にしてる可能性さえある。なんでそんな(くだらない)もののために、世界で一番価値がある(とファンは思っている)モーニング娘。を捨てるのか?オタクにとってモーニング娘。は女神の集まりであり、信仰の対象であり、この世のすべてなのだ。工藤はどうしてそれを惜しげもなく捨てるのか。どうして自分の大切なグループ、大切な推しメンを捨てて、外に出ていってしまうのか。工藤にはモーニング娘。のリーダーになって欲しかった。なのにどうして工藤はこんなに早くいなくなってしまうのか。ひどい、薄情だ、おまえの選択は間違っている、私達は捨てられた。または私の推しメンは捨てられた。……たとえ口には出さなくても、そんな薄暗い感情を心に秘めているハロヲタはそこそこいたと、私は思う。

私がスーパー戦隊をそこそこ見ているからこそ感じる不安もあった。戦隊ヒロインはどんなに頑張っても脇役であり、決してメインにはならないこと。必ずしも活躍の場が与えられるわけではないこと。一年間撮影を続けられない役者も出るほど、きつい現場であること。年度ごとの当たり外れが激しく、大人が一年間連続視聴を続けるには厳しい内容の作品もあること。他のテレビドラマより販売促進要素が強く、玩具会社の都合に振り回され続けること。ニチアサ卒業女優にはさまざまな岐路をたどった人がいて、決して幸福な前例ばかりではないこと。ヒーローとしての仕事と収入が永遠に続くわけではないのに、ヒーローとしての「模範的行動」だけは半永久的に強要されること。特撮ファンの中には女性アイドルが特撮に出演することに好意的でない人もいること。工藤はずっと戦隊ものを見ていたのだから、そんな要素もすべて知っていたに違いない。それでも、彼女は戦隊ヒロインになるために約束された安寧を捨てて勝負に出たのだ。

私はその決意を応援したかった。25歳まで保証された社会的地位を捨てて勝負に出た18歳の女の子の心意気を買いたかった。だって私も、娘。と東映特撮どちらも好きだから。両方を好きかつ適齢期の子どもがいる私が、この決意を応援しないでどうする。ルパンレンジャー出演決定のニュースを見た瞬間に「ルパンイエローを応援するのは私の使命だ」と思った。前年のタマ☆タマ☆キュー☆キュー☆は残念ながら家族の誰も視聴継続できていなかったこともあり、私一人が録画をチマチマ消費すると覚悟していた。おもちゃだって、子どもが遊ばなくても自分のために買うつもりだった。

結果としてルパパトはとても面白く、玩具にまつわる凄惨なテコ入れにも負けず無事にドラマは締まり、最高の結末を迎え、ギャラクシー賞という権威ある(らしい)賞も取った。私よりも夫と息子たちが日曜日を楽しみにするようになった。録画消費どころか、外出先で一秒でも早くオンエアを見るために東映特撮ファンクラブにも入った。DX玩具もデータカードダスもGロッソもファイナルライブツアーの名古屋遠征までも、家族全員が前のめりになって私に付き合ってくれた。私は正直とても楽だったし(子連れで行けるハロプロ現場は限られるのだ)、幸せなオタク活動をすることができた。それもこれも工藤が戦隊に人生を賭けてくれたおかげである。ありがとう。

奇跡のような一年は終わった。「ニチアサ卒業女優に幸福な仕事ばかりが続くわけではない」と先ほど書いたように、卒業後の道は決して平坦ではない。みんないろんな方向へ行く。引退も多い。不祥事もある。最近は売れっ子になる役者さんが増えたけど、一昔前はまことしやかに「特撮出身の役者は売れない」と語られていた。「殿」こと松坂桃李くんが売れてくれて本当によかった。私はシンケンジャーも大好きだった。10年前にきちんとシンケンジャーとお別れしたから、いまや立派なデュエリスト、じゃなかった立派な俳優になった松坂桃李くんを見ることができているのだ。とてもつらかったけれど、10年前にきちんとシンケンジャーとお別れしたから、ルパパトという素晴らしい作品に会うこともできた。ルパンイエローになった工藤に会うこともできたのだ。だから私もいま、ルパパトという作品ときちんとお別れしなくてはならない。

10年前コミケでシンケンジャーの薄い本を出し、全国津々浦々のファイナルライブツアーの客席を埋め、「日本オタク大賞ガールズサイド」でシンケンジャーを大賞に押し上げた当時の若い女性達は、10年後のいま母親になって特撮に帰還し、ルパパトを支えている。ソースは私の周囲。いまGロッソにいる若いお嬢さんたちも、きっと10年後に子供を引き連れて特撮に帰ってくる。特撮作品のストーリーに夢中になった過去があれば、ヒーローに夢中になる夫や子供を馬鹿にしたりしない。好意的に見てもらえるし、なにより財布の紐が緩む。おもちゃを買ってもらえる。そうやって回遊魚のように10年かけて巡る客によって東映特撮は支えられている。タイムレンジャーがあるからシンケンジャーがあり、シンケンジャーがあるからルパパトがあるのだ。

私のルパパト最後の現場は5月8日の『ルパンレンジャーVSパトレンジャーVSキュウレンジャー』上映中イベント・ルパパトデー@109シネマズ木場 であった。ついに私は工藤のいない現場にまで行くほどルパパトという作品そのものが好きになった。本当のことを言うと、宇都宮プロデューサーをこの目で見たかったのだ。シンケンジャーとゴーカイジャーとルパパトという私の大好きな作品群を作ってくれた凄腕プロデューサーを、一目見たかった。サプライズで圭一郎の役者さんも来てくれて、なんだか得した気分。あとゴーバスターズ本人公演ぶりに見た陣さんがマジかっこよくて感嘆のため息を漏らしちゃった。マージマジかっこいいマージマジマジーロ。

会場は満席であった。同じ作品を好きになって同じ作品を買い支え、時にはチケットの争奪戦やグッズの通販競争をした皆さんを、私は戦友を見るような気持ちで眺めていた。工藤のいない会場を埋める、一年前にはみんなまったく違う場所にいて、なぜか今ここに集まって、この先はもう集まることがないだろうお客さん達を。

『10 years after』を実現するために、少なくともルパンイエローのことは私たちハロヲタが10年間支えていかなければならない。支えきれるのか正直私にはわからないが(ハロメンは自主性の強い子が多いので、私たちの手の届かない場所へ急に飛び立ってしまう瞬間が多々ある。あと糞事務所がわりと糞事務所)そうしないと他の役者さんとそのファンの皆さんに申し訳が立たない。男性俳優の皆さんのことは会場にいたたくさんのお姉さま方に任せる。Gロッソとファイナルライブツアーの客席を埋めていた皆さん――ぬいぐるみを小脇に抱えたお嬢さんと、鋭い眼光で舞台を見つめながらときどきメモをとる裁判の傍聴人のようなたたずまいの大人たち――お願いします。魁利くんと透真と圭一郎と咲也とノエルのことはまかせました。私たちはなんとか工藤を支えられるように頑張りますから、そちらはよろしくお願いいたします。みんなはどこから来たのかな?そしてどこへ行くのかな?何にしろ一年間どうもありがとう。楽しかったよ、元気でね。私はハロプロという名の閉鎖された村に帰るよ。10年後にまた、元気で会おう。(2019/6/30)